三国志 お


王祐


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王雄


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王羕


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王廙


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王覧


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王離


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王立


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王黎  王弼とポストを争う


王黎(おうれい)字は不明
冀州常山国高邑県の人(??~??)

魏の臣。

正始年間(240~249)、黄門侍郎に欠員が生じ、丁謐(ていひつ)は王黎を、何晏(かあん)は王弼(おうひつ)を推薦した。
王黎と王弼は親密だったが、曹爽(そうそう)は王黎を起用したため、王弼はそれを恨んだ。

しかし王黎は間もなく病没してしまった。
後任には王沈(おうちん)が選ばれ、何晏はまたしても王弼が選ばれず残念がったが、王弼は意に介さなかったという。(『鍾会伝』)



王霊


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王烈


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王連


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王盧九  王夫人(大懿)の父


王盧九(おうろきゅう)字は不明
徐州琅邪郡の人(??~??)

孫権の側室の王夫人(おうふじん)の父。
孫和(そんか)の祖父にあたる。(『孫権王夫人伝』)



王朗


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王和平


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応璩  白い犬を見る


応璩(おうきょ)字は休璉(きゅうれん)
豫州汝南南頓の人?(??~??)

魏の臣。建安七子の一人である応瑒(おうとう)の弟。

学識高く、兄と同じく詩の才に優れ、時の権力者の曹爽(そうそう)を諷刺することもあり、その言辞はいささか迎合するきらいはあったが、多くは時代に合い広く受け入れられた。
他に河南尹の劉靖(りゅうせい)の統治を讃える手紙も残っている。

ある時、曹丕は優れた人相見として知られる朱建平(しゅけんぺい)に自身や居合わせた者の寿命を占わせた。
応璩は「62歳で侍中となるが災難に遭う。その一年前にあなたにだけ見える白い犬に会う」と占われた。
61歳で侍中となったある日、白い犬を見かけた。尋ねても他に見た者はなく、これまでの占いが多く的中していたこともあり、寿命を悟った応璩は友人と遊び、旅行に出掛けたりと遊興にふけり63歳で没した。

子の応貞(おうてい)もやはり詩や談論に巧みだった。



応綽  三国末期の揚州刺史


応綽(おうしゃく)字は不明
出身地不明(??~?)

晋の臣。

278年、呉の征伐に先駆け、王渾(おうこん)の指揮下で揚州刺史の応綽は、呉の最前線の重要拠点である皖城を攻め、5千の首級を挙げ、大量の兵糧を焼いた。

「正史」には登場しない。「晋書」等で他の事績を見つけ次第、追記したい。



応秀


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応珣


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応純


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応劭


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応貞


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応瑒


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応余


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応倫


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温毅


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温顒


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温氏


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温恕


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温生


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