旧校舎の鏡

〜001 旧校舎の鏡の噂〜

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 「弘長さん。実はお願いがありますの」

 お嬢様キャラには大きく分けて二つのタイプがあるものだと僕は思う。
 高飛車で人を人とも思わないタイプと、蝶よ花よと育てられおしとやかなタイプだ。
 が、市立三上塚中学校の副生徒会長であらせられる最上美麗(もがみ・みれい)先輩はどちらのタイプでもない。外見は深窓の令嬢という言葉がよく似合う、楚々とした雰囲気で、モスト・ビューティフルなんて大胆不敵な本名にも見劣りしない美少女である。言葉遣いもバカが付くほど丁寧で、時代錯誤というか、どこのマンガから飛び出してきたんだろうと思いたくなる、現実味のないキャラクターだ。
 だが決しておしとやかではない。のんびりとしたお嬢様然とした口調で、物に動じずいつでもマイペースで、実際になんとかコンツェルンだかなんたらグループだかの会長の孫娘にあたる超ド級のお嬢様として生を受けたが、彼女はおしとやかなんかじゃない。

 「聞いてもらえますよね? だって私はあなたの弱味を握ってますから」

 彼女は――腹黒なのだ。

 「私たち、とても困ってます」絶句した僕を尻目に、親愛なる最上副会長は黒目がちな瞳をくもらせた。「だって旧校舎って危険でしょう? 床板は腐りかけてますし、お昼に行っても暗いし、埃まみれで不潔だし」
 「あ、あの最上さん。いったいなんの話でしょうか。ちゃんと順を追って話してください」
 「ですから、旧校舎の鏡の噂です。噂を確かめようと、旧校舎に忍び込む不届き者の方が後を絶たないのです。弘長さん、どうかそれをやめさせてはもらえませんか?」
 「え? え?」話がわかるようでわからない。彼女はいったいなにを話しているのだろうか。
 「あのー。よく話が見えないんですけども。僕にもわかるように話してもらえませんか」
 「まあ、弘長さんったらまたそんな口をおききになって」なにかが最上副会長の逆鱗に触れた。
 「前々から何度も申し上げてますけども、弘長さんはですね、もっと――」

 話の後半は説教になってしまい、結局、最上副会長がなにを僕に依頼したいのかわかるまで、相当の時間がかかった。



 「で、お前は美麗さんの依頼を受けたってわけか」二年生にしてオカルト研究会の会長を務める不知火光(しらぬい・ひかる)はなれなれしく肩を組んできた。
 「なあ、いいかげん教えてくれよ。お前の弱味ってのはなんなんだ」
 「うるさい」腕を振り払い、僕は不知火をにらむ。
 「そんなことより副会長の言ってた旧校舎の鏡の噂について詳しく話してくれ。不知火なら知ってるだろ」
 「もちろん!」彼はわざとらしく胸を叩いた。

 旧校舎は現在は使われておらず立入禁止となっているが、自由な校風と、宿直の見回りの便を鑑みて、出入口に鍵が掛けられ、新校舎と通じる渡り廊下には簡単なバリケードが設けられているだけで、その気になれば誰でもたやすく侵入することができる。
 だが床にはところどころ穴が空き、昼なお暗く様々な怪談の温床となっている旧校舎にわざわざ立ち入ろうとする不心得者はそう多くはない。しかし。
 このところ妙な噂が立ち上り、宿直の目を盗んでは夜間に旧校舎へと足を踏み入れる者が多くなっているという。その噂というのが――。

 「旧校舎二階の踊り場に大きな鏡があるだろ。なぜか二階の踊り場にだけある、あの巨大な鏡」
 僕もこれまでに何回か取材のために旧校舎に忍び込んでいるからすぐに思い当たった。
 「ああ知ってる。あの姿見か」
 「大鏡だ」不知火は細かく訂正した。
 「あれくらい大きい鏡って普通は姿見って言わないか」
 「鏡は鏡だろ。姿見とかなにを気取ってんだよお前は」
 少々カチンと来たが、こだわっても話が進まないので先を促す。
 「あの鏡って古くなって、もうちゃんと映らないだろ。目の前に立ってもかろうじて自分の形がわかるくらいで、ぼんやりとしか見えない。ところがだ。夜中の十二時に、カップルであの大鏡の前に立つんだ。すると」
 「よく聞く話だな」
 「いちいち話の腰を折るな。とにかく鏡の前に立つ。すると……将来、結ばれるカップルだったら、くっきりと姿見の中に映し出されるって言うんだ」
 「……いま、姿見って言ったよな」
 「うるせえ」

 その噂を実地検証しようと考えるバカッ……カップルがこのところ急増しているというのだ。
 校内の風紀をあずかる最上副会長はそれを案じ、宿直の先生に重点的に、特に十二時頃に旧校舎を見張るようにお願いした。ところが単純なもので、十二時がダメなら一時、なんならもっと早くにと噂を無視し、とにかく暗ければ何時でもと鏡の前に立つ輩が出てきて、いたちごっこの体をなしているのだ。

 「そういう噂ってもっとちゃんと実験するものじゃないのか」僕は呆れて言った。
 「そんないいかげんなカップルは鏡に映ろうが映るまいがどっちにしろ別れるだろ」
 「いやいや、ヤツらの言い分によると、本当に強い絆で結ばれたカップルなら、何時に見に行こうとくっきり映るんだとよ」
 「でも、普通は映らないんだろ」
 「映らないな」不知火も同意した。
 「あんな古こけた鏡にちゃんと映るわけがない。なのにどうして好き好んで見に行くんだろうな。俺にはさっぱり理解できない」
 「自分たちだけは違うって思ってるのよ」
 ここで今日、初めて彼女が発言した。叙述トリックでもなんでもなく、実はこの場には最初からもう一人の人物がいるのだ。
 無口な彼女の名は浅倉塔子(あさくら・とうこ)。生徒会の書記を務め、いつも最上副会長からのお目付け役、もとい協力者として僕の取材に付き合ってくれる。ちなみに僕の不知火ではないほうの友人とも違う意味で付き合っている。

 「自分たちだけは他のカップルとは違う。自分たちならきっと映るって信じてるのよ。それで、そのくらい信じてるなら、たとえちゃんと映ってなくても、映ってるように錯覚しちゃうんじゃないかな」
 「恋は盲目ってヤツだな」不知火はうまいことオチを付けられたというように一人でうなずいている。
 「で、どうすんだよ弘長。今回も実際に試すんだろ」
 「もちろん」
 僕は放送部に所属していて、毎週火曜の昼休みに流されるワンコーナーを担当している。校内でまことしやかにささやかれる噂を、体を張って検証するその番組はなかなかの好評を博していた。今回も最上副会長の依頼を解決したら、放送していいというお墨付きをいただいている。
 「でも、美麗さんの依頼ってあれだろ。この旧校舎の鏡の噂を、無くせって言うんだろ。どうすんだよそれは」
 「それは…………」まだ考えていない。素直にそう言うと不知火は顔をしかめた。
 「だよなあ。美麗さんの依頼っていつもそうだけど、どだい無理な話なんだよな。いったいどうしたら噂を無くせるんだよ」
 「まあ、とりあえずは取材してから考えるよ。当たって砕けろだ」前向きなのは僕の長所である。とりあえずは実際に試す。依頼についてはその後に考えよう。
 「今夜、早速試すんだよな。じゃあ弘長は帰っていいぞ。結果は明日に報告してやる」
 「なんでだよ」
 「だって、この依頼はカップルで検証するものなんだろ。俺と塔子ちゃんで検証してやるから」
 「あのなあ不知火。お前も当然知ってるし本人の前で言うのもなんだけど、浅倉は彼氏いるんだぞ」
 「はい、います」浅倉は屈託なくうなずいた。こういう娘なのだ。
 「ですから、不知火さんとお二人でというのはちょっと……清家さんに聞いてみませんと」
 「OKが出ればやってもいいんだ。っていうかOK出ないよね」さすがの不知火もあわてた。
 清家仁(せいけ・ひとし)というのが浅倉のお付き合いしている、僕の友人である。年齢に似合わず心の広い好人物だが、さすがに彼女とオカ研の会長が夜中に二人きりという事態は許さないだろう。いやオカ研は関係ないか。
 「浅倉、どうせOK出ないから問い合わせなくていいよ」清家にメールを打とうとする浅倉を制した。こういう娘なのだ。
 「鏡には三人で一緒に映ってみよう。ちょっとルールからは外れるけど、どうせカップルがいないんだからしかたない。清家と浅倉を一緒に映す手もあるけど、清家は怖がりだから来ないだろうしな。ああ、これも問い合わせなくていいよ浅倉」
 「せっかく塔子ちゃんとカップル気取りできるチャンスなのに」不平を唱える不知火をにらみつける。
 「なんなら僕が一緒に映ってやろうか」
 「なにが悲しくてお前と一緒にカップルごっこしなきゃいけねえんだよ」
 「それはこっちのセリフだ」



 そうして話はまとまったが、家を抜け出すのが一苦労だった。中学生が夜中に外出するのは一筋縄ではいかない。援軍なしでは抜け出せなかっただろう。普段は頼りない兄もこんな時には役に立つ。いや今夜だけは、持つべきものは兄弟である、と立てておこう。
 待ち合わせ場所には、すでに不知火と浅倉の姿があった。オカ研会長の不知火はちょくちょく夜間外出をするため親にいい顔はされないものの外出自体は黙認されており、浅倉は14歳にして一人暮らしをしているから気軽に出てこられる。夜間の噂の調査にはこのメンツで挑むのが定番だった。
 時は深夜十二時の十分前。当然、校門は閉じられているが、僕らだけの秘密の出入口、塀の乗り越えやすい所から中に忍びいった。
 宿直の見回りは気にしなくていい。最上副会長は「十二時頃には旧校舎に近づかないよう手を回しておきます」と言っていた。どんな手管を用いるのかは知らないが、彼女の言葉は信頼できる。見回りは絶対に来ない。

 「こちらの物理準備室の窓になります」浅倉がバスガイドのように新校舎一階の窓の一つを示した。放課後のうちにあらかじめ鍵を開けておいてくれたのだ。
 気分はまさに泥棒だが、背に腹は代えられない。忍び込むと、二階の渡り廊下から旧校舎へと入った。
 見回りが来ないとわかっていても、一歩進めるたびに悲鳴を上げる床板に肝を冷やすし、何度忍び込んでも夜の学校、ましてや使われていない旧校舎の雰囲気に慣れることはできない。
 ペンライトの小さな灯りを頼りに、廊下の突き当たり、問題の姿見のある階段へとたどり着いた。
 以前、『魔の十三階段の噂』を検証したときには十四段だった階段は、ペンライトを向けても九段目あたりからもう闇にまぎれて見えなくなっている。
 「足元に気をつけてくださいね」浅倉が普段と変わらぬのんびりとした口調で言った。いつなんどきでもペースを崩さない彼女の存在は妙に頼もしい。
 一方、不知火はといえばオカ研会長で男のくせにさっきから僕の腕を離そうとしない。僕もそれを気持ち悪いと突き放す度胸がないのだからおあいこだけども。

 足を踏み外さないよう、慎重に階段を下る。一段、二段、心の中で数えていき、ふと、もし十三段になっていたらどうしようと考えてしまい、すぐに数えるのをやめた。一段、一段、一段と確認するようにつぶやく。冷や汗がおでこから鼻先を伝い、踏み板に落ちた。不知火の手も汗ばんでいる。
 ようやく踊り場に着き、一息ついてから、えいやとばかりに姿見にペンライトを向けた。だが、曇った姿見は光を跳ね返すばかりでなにも見えない。
 「も、もう少し近づいてみようぜ」僕の腕ごと震えながら不知火が言った。
 「べ、別に悪魔が出てくるとかそういう噂じゃねえんだから、こ、怖がることないしよ」
 「ちょっと待って」浅倉が手を広げた。びくりとする僕らを見つめ、「足元に気をつけてくださいね」とまた同じことを言った。それで緊張がほぐれた僕は、不知火の腕を振り払うと、ずかずかと姿見に近寄った。不知火と浅倉も後に続く。
 すると…………。

 ぼんやりと、僕と不知火の姿が浮かんでいた。

 輪郭もおぼろな、かろうじて人の形をしていると判別できる程度の、うすぼんやりとした映り方である。なんとはなしに安心して、僕は息を吐いた。
 「映ってねえな」不知火もうれしそうに言う。
 「万が一くっきりはっきり映っちまったらどうしようかって思ってたけど、正真正銘のうすぼんやりだ。ははは。おい、安心したなあ弘長」
 度を越して安堵しきっている不知火になぜかいらつきを感じていると、不意に浅倉が言った。

 「映ってるわ」

 「え?」なにがだい浅倉――と聞こうとして、僕も気づいた。
 そう、映っているのだ。
 僕と、不知火と、その二人だけが。
 僕らの隣、肩が触れ合うほどすぐ隣に立っているはずの、浅倉塔子をさしおいて。

 「たしかに映ってるな……俺たちだけ」不知火も呆然としてつぶやいた。
 それは不思議な情景だった。怖いと感じるよりも先に、不思議だと、不可解だと思えた。三人並んで一人だけが姿見に映らない――。
 「どうして映ってるのかしら……」
 「き、気にするなよ」細い首をかしげる浅倉の肩を僕は叩いた。
 「なにか光の加減とか、そんなもんだよ。こんなの映ろうが映るまいがどうだっていいじゃん」
 「そうだよ塔子ちゃん。むしろ映っちまった俺たちのほうが負けのようなもんだ」
 不知火と二人して妙な励ましをしながら、鏡に魅入られたように動こうとしない浅倉を、引きずるようにして僕らは旧校舎を出た。



 真夜中の冒険から三日後。
 鏡の一件はなにかの不吉な前兆とかそういったものではなかったようで、浅倉塔子は毎日登校している。
 だがまだ鏡のことが気になるのか、いっそう無口さを増し、僕や不知火が話しかけても、物思いに沈んで答えないこともたびたびだった。

 その日の放課後、最上美麗副会長から呼び出しがかかった。
 依頼を全く解決していないのだから、行きたくはなかったが、校内放送で姓名を連呼されては逃げ場はない。
 おそるおそる生徒会室をおとなうと、意外に上機嫌そうな彼女の顔が待ち受けていた。
 「弘長さん」
 「は、はい」
 それでも凛とした声で呼ばれると、自然と背筋が伸びてしまう。
 「この前あなたに依頼したことですけど……」
 「あ、ああ、その件ですか。いったいなんの御用かと思いました。その件につきましては、ただいま前向きに善処している次第でして、可及的速やかに」
 「あれはもういいわ」
 机に頬杖をつき、最上さんはどこか物憂げな様子で言った。
 「あれはもう解決しました。だから忘れてください。ああ、そういえば番組で扱う予定でしたっけ。それなら遠慮せず流してもらって結構です」
 「あ、あの。解決した……んですか?」
 「はい。それはもう、すっきりと」最上さんは両手の親指と人差指をあわせて丸を作った。
 「野球のボールだったそうです」
 「は?」
 「ですから、野球のボールで、どなたかが鏡を割ってしまわれたそうです」
 「割った。あの、旧校舎の鏡をですか」
 「そう」
 ついさっきのことだ。生徒会の者が見回りに行くと、鏡が粉々に割れ、側には硬式球が転がっていたという。
 「校内の備品を壊すのは感心しませんけど、今回ばかりはちょっと助かりました」最上さんはやわらかに微笑んだ。「やさしい犯人の方だったようで、大きな破片はちゃんと持ち帰っていたそうですし、掃除の必要もなくてよかったわ」
 「それは僕もよかったです!」言葉通り僕は胸をなでおろした。まさしく当たって砕けたのだ。「大方、噂を確かめたカップルが、ちゃんと映らないことに腹を立てて割っちゃったんじゃないですか。それなら犯人は野球部の誰かかな。まあ、ボールなんて誰でも投げられるけども。とにかく」
 「弘長さん」
 安堵のあまり饒舌になった僕を、最上さんのいっそ冷徹と言っていい声が遮った。
 「依頼は解決しましたけども、この前言って差し上げたことはお忘れですか。僕だなんてはしたない言い方はおやめなさい。女の子らしくないでしょう? ねえ、聞いてるの弘長さん――」



 それにしても不可解だと、浅倉塔子は思いだす。
 どうして映ったのだろうか。
 弘長知子と、不知火光の二人だけが。 
 浅倉塔子の姿は映らなかった。
 それはなんの不思議もない。

 なぜならあのとき、すでに鏡は割られていたのだ。

 実地検証に行く前、新校舎の鍵をあらかじめ開けておく前に、こっそりと旧校舎を訪ねた。
 私が入学する何年も前から旧校舎は使われておらず、弘長知子の旧校舎がらみの噂の取材にもたまたまついていったことがなかったので、鏡があることすら知らなかった。夜ではまともに観察できないから、昼間のある程度は明るいうちにしっかりと見ておこうと思った。
 すると、鏡は割られていた。破片があちこちに飛び散り、野球のボールが転がっていた。
 破片を拾い集めながら、弘長さんはがっかりするだろうなと思っていると、ふと、いたずら心がちらついた。
 このまま黙っていたらどうなるだろうか。
 旧校舎の鏡の噂を検証に行ったら、鏡自体が姿を消していた。これはちょっとしたホラーだ。面白いことになるかも知れないし、予想通りがっかりするだけで終わるかも知れない。
 だからその夜、鏡の前で私は、弘長さんたちに何度も足元に気をつけてと促した。破片はあらかた掃除したつもりだが、それでも残っているかも知れない。犯人の痕跡を無くすのもまずいからと、ボールもそのままにしておいた。踏んづけたら危険だ。
 そして。

 二人の姿はぼんやりと、だが確実に映し出されていた。
 鏡もなにもない、ただの壁面に、まるで古ぼけた鏡にその身を映したように。

 嘘か真か、あの鏡にはっきりと姿の映ったカップルは将来結ばれる運命にあるという。
 弘長さんと不知火さんは、幼なじみでおたがい憎まれ口を叩きつつも、よく二人で行動しているのを見かけるし、仲が悪いとは思えないが、決してカップルではない。
 それでもあの二人は映った。
 鏡すらない壁に、ぼんやりと映った、カップルではない男女は、はたして将来どんな運命をたどるのか。
 そればかりが気になって、浅倉塔子はずっと物思いにふけっていた。



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