御神木

〜004 御神木の噂〜

トップページへ


 「これは……改めて見るとすげえ不自然だな」
 「改めて見なくても不自然だよ」嘆息した不知火光(しらぬい・ひかる)に、弘長知子(ひろなが・ともこ)は冷たく言った。
 三上塚市の東南端に位置するボウリング場、ミカミ・ボウルの駐車場にそれはあった。
 植物にうとい弘長には種類はわからないが、とにかく巨大な樹である。大人が五人並んで腕を伸ばし、ようやく抱えられるような太い幹に支えられ、高く高く伸びた大樹。
 それが柵に囲まれ、駐車場の中にそびえ立っているのだ。
 「昔から疑問だったの」浅倉塔子(あさくら・とうこ)があごに指を添えて言う。
 「どうしてこんなに大きな、邪魔な樹を切らないんだろうって。だってこの樹が無かったら、ゆうに十台分は駐車スペースを増やせるでしょう? それも駐車場の真ん中にあるなら、まだオブジェみたいな感覚で残したのかもって思うけど、こんな中途半端に右側にあるじゃない」
 「たしかにな」弘長はうなずく。「僕が地主だったら絶対切る。この樹だけ残す意味がない」
 「それでも切らずに残してるってことは……噂は本当なのかもな」不知火が言う噂とは、こういった不自然に残された大樹に付きものの、「切れば祟りをなす御神木」の噂である。

 「でも実際に聞いたことあるか?」弘長は疑問を呈した。「この樹を切ろうとして誰かが怪我したとか死んだとか」
 「そりゃ聞いたことはないが……でも、このボウリング場って俺たちが生まれる前からあるだろ。聞いたことなくてもおかしくない」
 古ぼけたボウリング場である。屋根に据えられたありがちなボウリングのピンのオブジェも薄汚れ、ところどころ塗装が剥げている。
 「あれ見て。樹の来歴か何か書かれてるみたい」浅倉が指さす先、大樹の根元に、板切れが転がっている。よく見ると樹に添えられた説明書きの成れの果てのようだ。
 不知火が板切れを拾い上げた。雨やら泥やらで汚れ、文字はほとんど読めそうもない。
 「えーと。源頼……三……により、鬼……首かなこれは。退治さ……れ」
 源頼三(みなもとの・よりみつ、とでも読むのだろうか)によって鬼が退治され、その首が空を飛び、この地に落ちた。やがて首の落ちたところから樹が生えて、今に至る。だいたいそういったことが書かれているようだった。
 「これもありがちな話だな」オカルト研究会部長の不知火は鼻を鳴らした。
 「ありがちなんだ。でも、ちゃんと祟りを起こしそうな来歴もあるんだね」弘長は腕を組む。みんなが一度は行ったことがある、あのミカミ・ボウルに立っているあの樹には、こんないわれがあった。かろうじて小話には使えそうだと算段していると、立て札を放り出した不知火が、べたべたと樹にさわりだした。
 「おい、何やってんだよ」
 「弘長、写真撮ってくれ。オカ研の会報に使う」不知火は不知火で、部活に使えそうだと踏んだようだ。
 「カメラなんて持ってきてないよ」弘長は放送部の昼休みのワンコーナーで話そうと考えているだけなので、写真は必要ない。だいたいこの樹なら写真に撮らずとも三上塚市民は誰もが知っている。
 「写メでいい?」浅倉が携帯を構えた。
 「いい、いい。塔子ちゃんは気がきくなあ。どこかの誰かとは大違いだ」当て付けがましく不知火が言い、浅倉がシャッターを切った、その時。

 一本の枝が音もなく折れて、不知火の頭の上に落ちた。

 「…………あーあ」しばしの沈黙ののち、弘長はつぶやいた。
 「祟られちゃったなこりゃ」
 「ち、ち、ちょっと待てよ。俺はなんにもしてないぞ」不知火はあわてふためく。「さわってもいないし折ってもいない」
 「でも折れたよ。御神木。不知火のせいで」
 「だから勝手に折れたんだって! あれか。シャッターを『切った』とか、そういうオチか。冗談じゃないぞ。ただのダジャレじゃないか。それにシャッターを『切った』のは俺じゃなくて塔子ちゃんだ」
 「……じゃあ、私が祟られるんですか?」
 「いや、塔子ちゃんは祟られない」不知火はものの一秒で前言を翻した。「断じて祟られるもんか。祟られるべきなのは塔子ちゃんじゃなくて俺だ!」
 「不知火、何度も言うけど浅倉は彼氏いるぞ」
 「そんなことは関係ない。塔子ちゃんが祟られるくらいなら俺が祟られてやる!」

 そんな勇ましい発言は事実となり、不知火はこのあと、数日にわたり祟られることになった。



 「階段を踏み外した。電柱にぶつかった。自動ドアが壊れて開かず顔面を打った」
 下校途中、不知火はここ数日の間に起こった祟りを淡々と数え上げた。
 「お前の不注意じゃないのか」
 「違う。自慢じゃないが俺はこれまで階段から落ちたことも、電柱にぶつかったこともない」
 本当に自慢でも何でもない。
 「それが御神木の枝を折ってから立て続けにだぞ。いや、厳密に言うと折っちゃいないが、枝が折れてから急に不幸に見舞われてるんだ」
 「でも、もしそれが祟りだとしたら随分とやさしい祟りね」
 浅倉の言うとおりだ。御神木の祟りというのは、こんなに生易しいものだろうか。それとも、実際に手を下して折ったわけではないから、この程度で済んでいると考えるべきか。
 「なぜか顔面にばっかりダメージ受けてるからさ、眼鏡のフレームが曲がっちゃったんだ。ちょっとそこの眼鏡屋に寄ってくよ。じゃあな」
 不知火は普段以上に慎重に横断歩道を渡っていった。軽口を叩きながらも少しは心配していた弘長たちは、不知火が無事に横断し終えたのを確認して、きびすを返した。
 その直後。
 ゴッ。という鈍い音とともに不知火の悲鳴が響いた。
 驚いて振り返ると、不知火が顔面をおさえてうずくまっている。そこにグローブを手にはめた中学生くらいの少年が駆け寄ってきた。どうやらそばの公園で野球をしていたようだ。
 「大丈夫ですか? ボールが外に飛び出しちゃって」
 弘長たちも信号が変わるのを待ってから駆けつけた。不知火はまだ顔を覆っているが、怪我はなさそうだった。だが、足元に転がった彼の眼鏡は、レンズがひび割れてしまっている。
 「当たり方がよかったみたいだ。レンズが割れただけで済んだ」
 「本当によかったじゃない。眼鏡を新調するいいきっかけになって」弘長は安堵のため息とともに、憎まれ口を吐いた。



 「本当によかったよ」黒縁眼鏡を新調した不知火は晴れやかな顔で笑った。
 「眼鏡屋で視力を測ってもらったらさ、前より視力が落ちて、度がずれてたんだ。だからよく見えなくて、しょっちゅう顔をぶつけてたんだな」
 「ああ、なるほど」視力が落ちたことよりも、祟りではなかったことのうれしさが勝っているのだ。ああ見えて祟りを気にしていたらしい。
 「眼鏡代も俺にボールぶつけたヤツの親御さんが出してくれたんだ。こうなってみると、祟りどころか御神木さまさまだな」
 ところでお前、と不知火は弘長の背後を見やった。
 「図書室に来るなんて珍しいな。何の本を借りたんだ?」
 「あ、ええと、地理の宿題が出たんだ。それの参考に」
 「ふうん。あ、そうだ、塔子ちゃんにも報告しないと」聞いておいてさしたる興味はなかったらしい。不知火は足取り軽く立ち去っていった。これから浅倉にも眼鏡を見せびらかすのだろう。

 弘長は後ろ手に隠していた本を持ち直し、胸に押し付けた。
 書名は「鎌倉時代の三上塚」。
 御神木の立て札に書かれていた源頼三について調べたのだ。
 源頼三は存在自体が疑問視されており、鬼退治の逸話も創作の可能性が高いという。つまり、あの御神木の由来も怪しいことになる。
 だが。一つだけ気になることが書かれていた。
 源頼三は、鬼の目に刀を突き立てて、ひるんだ隙に首を斬り、退治したのだ。
 そして、あの御神木を切ろうとした者は、鬼の恨みの念によって目が見えなくなったのだという。

 「眼鏡屋で視力を測ってもらったらさ、前より視力が落ちて、度がずれてたんだ」

 不知火はもともと目が悪い。小学校に上がる頃から眼鏡を掛けていた。さらに近眼になったとしても不思議ではない。
 だからこれは偶然の一致なのだろう。
 たまたま御神木が折れただけ。たまたま近眼が進んだだけ……。
 でも、この本は不知火には見せないようにしようと、弘長は思った。



トップページへ