ラピスラズリ

〜005 呪いの宝石の噂〜

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 「弘長さん、ラピスラズリはご存知?」
 昼休み、僕を呼び出した最上美麗(もがみ・みれい)生徒会副会長は開口一番にそう尋ねてきた。
 「宝石……の名前ですよね。たしか、持っていると幸せになるとか」
 「さすが弘長さん、よくご存知ね」美麗さんは夢見る少女のように両手の指を組み合わせた。
 「でもラピスラズリには、もうひとつの言い伝えがありますの。そう、持っていると不幸を招くという、全く逆の言い伝えが」
 これがそのラピスラズリですと、美麗さんは首からネックレスを外し、僕に差し出した。
 「今回の依頼です。ラピスラズリをお貸ししますので、肌身離さずつけていてください」
 「それはつまり……」僕は言葉を選ぼうとしたが、結局、思った通りを口にした。
 「平たく言って、僕に実験台になれということですか?」
 「その通りです。幸せになるのか、それとも不幸になるのか、試してください」

 僕は放送部で毎週火曜の昼休みにワンコーナーを任されていて、そこでは構内で囁かれる様々な噂を実地検証している。
 そうして得た人脈や経験を買われて、美麗さんから頼まれ事をされることがしばしばあった。
 僕はそれを断れない。
 なぜなら、僕は美麗さんに弱みを握られているのだ。
 「受けてくださいますよね?」
 美麗さんは穏やかに微笑む。
 僕の手の中で、ラピスラズリがずっしりと重くなった気がした。



 放課後、教室に入ってきた不知火光(しらぬい・ひかる)は、僕を見るなりぎょっとした顔になった。
 「どうしたどうした弘長、鬼の霍乱か。何を色気づいてんだよお前」
 ネックレスを首から提げただけで酷い言われようだ。一発殴ってから美麗さんにネックレスを借りた(貸し付けられた?)経緯を説明すると、不知火は頭をさすりながら首をかしげた。
 「なるほど、実験台ってわけか。でもよ、ラピスなんとかって宝石は世の中にごまんとあるわけだろ。それの全部が全部、幸せや不幸を呼ぶのか? そのネックレスにそんな力があるとは限らないんじゃないか」
 「いや、少なくともこれに関しては、効果はあるらしい」
 なんでも元々の持ち主は美麗さんの従姉で、ラピスラズリの御利益あってか、このたびめでたく結婚が決まり、もう十分幸せになったから、今度は美麗さんにおすそ分け――という経緯で譲り受けたそうだ。
 「結婚が万人にとって幸福かどうかはおいといて、とりあえずその従姉にとっては御利益があったわけ」
 「珍しく弘長と意見が合うな。結婚は人生の墓場だって誰か言ってたぞ」
 不知火は女と見れば誰かれ構わず声をかけては玉砕することを生き甲斐としている。意見が合うなんて僕は思いたくない。
 「お前の暴言はともかく、このラピスラズリは幸せを呼ぶほうのラピスラズリって可能性は高いな」
 「じゃあ、やることは一つだな」不知火はあごをしゃくった。
 「早く帰り支度しろ。行くぞ」
 「どこに?」
 「決まってんだろ。ナンバーズ買いに行くんだよ」



 「知子、どうしたんだそれ」弘長隆史(ひろなが・たかし)――兄貴は僕の首元と、手にした袋を交互に見ながら目を丸くした。
 「戦利品」袋をどさりと玄関口に置く。中には13本の缶ジュースが詰まっている。
 「当たり付き自販機で、12連続で当たった」
 未成年のためナンバーズは売ってもらえなかったのだ。それでも何かで実験したくて目を付けたのが自販機である。
 ラピスラズリのことと一緒に説明すると、兄貴は物欲しそうな顔になった。
 「それちょっと借りられないか。成人で通りそうな顔した先輩にナンバーズを買ってもらう」
 「又貸しなんてできないよ。これ貸してくれたの美麗さんだし」
 最上美麗の名を出すととたんに兄貴は尻込みした。三上塚中OBの彼も、一年後輩の美麗の噂はよく知っている。
 「借りるのはまた今度として……。それにしても本当に効果あるんだな、そのネックレス」
 「半信半疑だったけど、僕もさすがにちょっと信じる気になってきたよ」
 最初のうちは連続大当たりに興奮していた僕たちも、あまりに当たりすぎて気味が悪くなってしまい、不知火などはジュースの山分けを断って飛ぶように逃げ帰ってしまった。
 おかげで大荷物を抱えるはめになった。全く甲斐性のある男だ。
 「よし、それならやることは一つだな」兄貴は誰かの真似をするようにあごをしゃくった。
 「なにが?」
 「早く着替えてこい。そのラピスラズリの使い方を家族会議で決めるぞ」



 結局、昨夜は母を交えて遅くまで中学生でもできる効果的な一攫千金の方法について協議した。
 妙案は出なかったし、途中から金の魔力にとりつかれた兄や母がなんだか怖くなってきて、ベッドに潜っても寝つかれなくなってしまった。
 その寝不足があだとなったのだろう。
 下校中、僕はラピスラズリをひったくられた。
 我が母校は自由を重んじる校風とはいえ、さすがにネックレスを提げたまま授業は受けられない。ラピスラズリは美麗さんから預かった箱にしまい、通学カバンに入れてあった。
 そのカバンを後ろから来た男にひったくられそうになった。自慢の反射神経でとっさにカバンの持ち手を強くつかんだため、ひったくろうとした男と綱引きをするような形になる。
 か弱い女子中学生を狙うだけあって、男は腕力に欠けるようで、互角の勝負になった。
 腰を落として踏ん張りながら助けを呼ぼうとすると、左右からの力に耐え切れず、カバンのチャックが壊れ、中身が盛大にぶちまけられた。僕は自慢の動体視力で宙に舞ったサイフをキャッチしたが、男は目ざとくネックレスの箱をつかみ上げると、逃走してしまった。

 残されたのは、壊れたカバンを胸に抱えた哀れな少女ひとり。
 美麗さんには明日謝ろうと考え、交番に寄って盗難届けを出し、とぼとぼと帰宅の途についた。



 翌朝、早くに登校した僕は生徒会室に向かった。
 昨夜のうちに電話で謝罪しておいたが、直接出向いて頭を下げるのは当然だ。おそるおそるドアを開くと、美麗さんはただ一人、まるで一年中そこに鎮座ましましているような様子で、席についていた。授業以外の時間は生徒会室で過ごしているという噂は本当らしい。
 「おはようございます、弘長さん。今日はお早いのね」
 さる財閥の御令嬢らしい美麗さんにとって、ネックレスの一つや二つ、紛失しても痛くもかゆくもないのかも知れないが、それにしても存外に機嫌が良さそうだ。
 それでも戦々恐々としながら謝罪の言葉を口にしようとすると、美麗さんは細い指を開いて押しとどめた。
 「待って。このことでお話に来られたのでしょう」
 そう言うと、美麗さんは机の中から見覚えのある細長い箱を取り出した。開くと、中からあのラピスラズリのネックレスが出てきた。
 「え」
 「昨日、こうして帰ってきましたの。ですから気に病まなくて結構です」
 話によると――僕からネックレスをひったくった犯人は、野良犬に追われ、ドブ川に落ち、足をくじいて這い上がったところを車にはねられ、息も絶え絶えになって助けを求めた相手が、なんと最上美麗その人だったのだという。
 「まるで作り話みたいでしょう。でも本当なんです。ひったくり犯の方に救急車を呼んで差し上げて、御礼に返していただきました」
 「…………」
 「弘長さん、禍福は糾える縄の如し、という言葉をご存知かしら。要約すると、世の中の幸福と不幸の量は釣り合っていて、幸福が続けば、その分同じだけの不幸に見舞われる、という意味なんです。
 従姉の麗子さんや弘長さんが得た幸福と、同じだけの不幸を、そのひったくり犯の方がお受けになったのかもしれませんね」
 美麗さんはネックレスを箱に戻すと、そっと僕に差し出した。
 「人体実験のお詫びと、今回の依頼の報酬がわりです。よろしかったら受け取ってください」
 「い、いやいやいや。そんな高価なもの受け取れません」
 高価でなくとも、こんな話を聞いたあとでは、僕にとってそのラピスラズリはもう呪われた宝石にも等しい。触れるのも怖い。
 「遠慮はなさらなくても結構ですよ。小さい頃から、貸した物はあげた物と思いなさいと教えられています」
 「僕はそんなセレブな考えは持ってませんし、それに美麗さんのほうがお似合いですから」
 「あら、そう?」
 美麗さんは満更でもなさそうに微笑むと、ようやくラピスラズリを納めてくれた。お世辞ではなく、彼女の透き通るような細い首に提げられてこそ、ネックレスはよく映えている。
 「ところで弘長さん、このラピスラズリが幸福を呼ぶのか、不幸を呼ぶのか、それとも両方を対等に招くのか、それはわかりませんけど、呪われた宝石だということだけは、確かじゃないかしら」
 「と言いますと……」
 「だって、手放しても気がついたら持ち主のところに戻ってくるんですから。捨てても捨ててもいつの間にか部屋に戻っている、呪いのお人形と一緒でしょう?」

 僕には、そんな呪いのネックレスを嬉々として身につける美麗さんのほうが恐ろしかった。



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