夜動く

〜006 動く銅像の噂〜

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 我らが母校・三上塚中学校の大きな特徴といえば、私立にしては破格の授業料であるとか、県下有数のマンモス校であるとか、生徒数の多さに物を言わせて各界の著名人をそれなりに輩出しているとか、いくらでもあげられるだろう。
 だが、外見的な特徴としてあげられるのは、見栄えのしない廃墟同然の巨体を横たえた旧校舎を別として、たとえば甲子園に出場したときに紹介VTRで真っ先に映されるのは、間違いなく初代校長の銅像だろう。
 なんせその立地が珍しい。旧校舎に相対するように設置され、と言えばさほど不思議には聞こえないかもしれないが、新校舎と校庭に背を向け、一切使われていない旧校舎をまっすぐに指さしているのは異様である。
 もともとは旧校舎に向かう生徒たちを送り出すようにと考えられていたらしいが、新校舎の建造に伴い校庭も拡張され、校庭の隅に変わってしまったというのだ。
 しかし時代が流れれば考え方も変わるもので、昼休みにはクラーク博士像のように突き出された銅像の右手にネットをくくりつけバスケットボールのゴール扱いしたり、体育祭では脳天にカゴを乗せて玉入れの的にしたりと便利に使われている。しかもそれは初代校長が在任当時からの伝統だというから、なかなかの大人物である。
 銅像の碑文に「雷田(らいた)初代校長は稚気に富み、他愛もない悪戯で生徒や教員を笑わせ、大いに慕われていた」云々と書かれているのは伊達ではないのだ。
 そんな銅像にも、やはり学校に付きものの噂がささやかれている。
 曰く、雷田先生像は、夜動くと。



「銅像が動いたんだ」と真顔で言う不知火光(しらぬい・ひかる)に、僕――弘長知子(ひろなが・ともこ)は「はいはい」と暖かい相槌を返した。
「動いてよかったな」
「お前、信じてないだろ」
「はいはい、信じてるよ」
 さらに暖かい同意を付け加えたのに、不知火は真面目に聞けよこの野郎と、鼻息を荒くした。
「銅像が動いたんだぞ。もっと驚けよ。取材しろよ。昼休みのコーナーで使えよ」
 僕は放送部に所属する才色兼備の女子中学生で、毎週火曜の昼休みに校内放送で流される他愛もない番組で、校内でまことしやかにささやかれる噂話を検証しているのだ。
「使えないよ。そんな小学校の七不思議みたいな与太話」
「なんでだよ。銅像だぞ。普通は絶対に動かないぞ。それが生きているかのように動いて愛する生徒を助けてくれたんだぞ」
「生徒を助けた?」
「おっ。食いついたな。詳しい話を聞きたいんだな」
 思わず反応してしまったことを悔やみながら、僕は尋ね返す。
「そんなにすごい話だったら、オカ研で特集すればいいじゃないか」
 不知火は才も色もない男子中学生だが、二年生にしてオカルト研究会の会長を務めていて、怪しげな機関紙を毎月発行している。腐れ縁の知り合い同士とはいえ、なぜ自分で記事にせずに、僕に回そうとするのかよくわからない。
「そ、それはだな」不知火は言いよどんだ。「オカ研ではちょっと、採り上げられないというか、なんというか、やんごとない事情があってだな」
「よんどころない事情だ。そもそも、その話はいつ、どこで、誰が見た話なんだよ」
「ええーと」不知火は目を泳がせ、後ろを振り返り、少しずつあとじさると、何気ない雰囲気を装っているつもりらしいがすさまじく不自然に教室を出ていった。
「…………なんだあいつ」もともとエキセントリックなところのある知人だが、いつにもまして挙動不審だった。
 どうやら彼はおびえていたようなのだ。
 噂の検証でいろいろ怖い所に行ったから、臆病な不知火がおびえる様は何度も見ている。その時の様子にそっくりだった。
 気にならないでもなかったが、不知火光という人間に対してなんらかの思いをめぐらせる時間が無駄に思えたので、すぐに頭を切り替えた。
 が、放課後。
 生徒会室に呼び出された僕は、教師二人から同じ話を聞かされた。
 曰く、雷田先生像は、夜動くと。



「あらあらまあまあこちらが最上さん御推薦の弘長さん? 敏腕調査員さんだって伺ってましたからどんな方かと思ってましたけどかわいらしいお嬢さんですこと」
 おほほほほほ、と笑う人間を僕は初めて見た。
「敏腕調査員ではありませんが、初めまして。弘長知子です」
「あたくしのことはご存知? そんなわけないわよね。でも息子がいつもお世話になってるでしょう。ほらあの風紀委員の。なんて子供のことばかり紹介してもしかたないわね。あたくしはPTA会長の伊集院瑠璃(いじゅういん・るり)と申しますのよ。よろしくお願いね弘長さん」
 恐るべき早口である。これだけの文章量をしゃべるのに3秒とかかっていまい。
 あっけに取られていると、瑠璃会長の隣に立った若白髪の目立つ教師が微笑んだ。
「弘長くんなら安心です」
 韓国系カナダ人で英語教師という国際色豊かな李(り)先生だ。彼は英語のほか韓国語、ドイツ語にもちろん日本語を流暢に話すが、まだ左右の区別だけは時々つかなくなるそうで、「お箸が右手で茶碗が左手は、日本で最高のことわざだ」と冗談交じりにつねづね言っている。
 僕のクラスの担当ではないが、本来の英語教師が産休の際に数ヶ月間、授業を受けたことがある。
「それで、僕にお話というのは……」
 僕をこの場に招喚した最上美麗(もがみ・みれい)生徒会副会長の顔をうかがう。
「詳しくは伊集院様からどうぞ」
「あらそう? 急な話で大変申し訳ないんですけどもね、弘長さんあなた、どこかの大学か高校だかで、校長先生か教頭先生だかの銅像か胸像だかに、仮装か化粧だかを無断で施す行事かいたずらだかがあるのをご存じかしら」
「えーと、たぶん、ですけど……京都大学の折田先生像のことでしょうか」
「そうそうそうそうそれそれそれそれ」
 折田先生像とは、京都大学の構内に置かれていた初代校長の胸像のことで、有志が毎年2月頃にその銅像が置かれていた跡にアニメや著名人をモチーフにした個性的な意匠を凝らした、というかコスプレをさせた石膏像をこっそり設置するという害のない恒例行事で、名物となったことからニュースでもたびたび採り上げられている。
 それを我が校でもやってやろうという不届き者がいるのだという。
 不届き者などと遠まわしに言う必要はない。すぐに見当がついた。犯人は不知火光だ。

 伊集院瑠璃PTA会長の9分弱にわたる一方的なマシンガントークをまとめると、つまりはこういうことだ。
 ある不届き者――もうこの際不知火と名指ししよう――が、雷田先生像にコスプレをさせようと企んでいる、との密告が生徒会の目安箱に投函された。
 一報を受けた最上副会長はすぐ教師に知らせ、対策が練られることとなった。
 折田先生像は胸像だが、雷田先生像は等身大の銅像である。土台は地面に固定されており、おいそれと交換することはできない。細工を施すとすれば、雷田先生像自体に手を下すことしかできまい。像を見張っていれば不知火を捕らえられるだろうと考えた。
 だが誤算があった。不知火は一人ではなかったのだ。オカ研の部員たちに陽動を命じ、待ち構える職員たちを分散させ、その隙に雷田先生像に近づいた。
 しかしその時、像の背後に隠れていた李先生と瑠璃会長が襲いかかった。
 泡を喰った不知火はコスプレ衣装を投げ捨てて逃げ出した。
 インドア派のくせに妙に足の早い不知火は追いかける二人を突き放し、旧校舎のほうへと走る。距離をとられた追手二人は、不知火が旧校舎の裏手へ逃げたことはわかったが、左右どちらに向かったかまではわからなかった。そこで二手に分かれた。
 瑠璃会長は元・陸上部の快足で旧校舎の左へ走りながら、遅れて続く元・文芸部の李先生に右へ回るよう指示した。
 だが挟み撃ちしたにも関わらず、下手人はつかまらなかった。
 旧校舎の裏手に校門などはなく、延々と高い壁が続いており、外に出られたとは思えない。旧校舎の窓や扉は施錠されていて、中に入ることはできず、また道沿いに身を隠せる場所もない。
 不知火はまるで煙のように姿を消してしまったのだという。

 話を聞き終えた僕は頭をひねった。犯人は不知火だ。だからあいつが瑠璃会長らを出し抜いたとは考え難い。なぜなら不知火だからだ。
 すると、追手の側に問題があったと考えられる。不知火を見逃してしまう、なにか手落ちがあったのだ。
 僕はもう一度、最初から話をし直してもらった。今度は瑠璃会長だけではなく、李先生にも話してもらう。
「それで私は、雷田先生像を見て、右へ向かったんですが――」
「え。ちょっと待ってください」話が挟み撃ちの段に及んだ所で僕は止めた。「どうしてそこで雷田先生像が出てくるんですか」
「お恥ずかしい話ですが」李先生は頭をかいた。「私はまだ右と左の区別がとっさにつきません。それで右とはどっちか迷っていたら伊集院さんが、雷田先生像が指さしている方よ、と教えてくださって」
「それでわかりました」僕は大きくうなずいた。
「わかった? これで真相がわかったのですか」
「まあ。さすが弘長さんですね。弘長さんにお頼みしてよかった」美麗副会長が気の早いことを言った。下手なことを言ったら許さないぞという無言のプレッシャーを感じながら、僕は曖昧に微笑む。

「つまりこういうことです。伊集院さんが言った、雷田先生像が指さしている方と、李先生が解釈した、雷田先生像が指さしている方は、完全に逆だったのです。
 どちらがどちらかはお聞きしないとわかりませんが、伊集院さんはきっと雷田先生像が実際に指さしている方を示したのでしょう。ご存知の通り、雷田先生像は旧校舎の左側を指さしています。
 一方で李先生は、その言葉を自分に置き換えてとらえてしまいました。雷田先生像が上げている方の腕、つまり右側なのだと。
 伊集院さんは足が早く、李先生のずっと前を進んでいました。追走に手一杯の李先生は自分がその真後ろを進んでいるとは気づきませんでした。そのあいだに運良く旧校舎の右側に進んでいたシラ……犯人は、引き返して悠々と逃げ出していったのでしょう」

 僕の読みは当たっており、たしかに瑠璃会長は雷田先生像が指さす左側を念頭に置いていたが、李先生は自分に置き換えて右側だと考えたようだった。
 よう、と言うのは、李先生がはっきりと覚えていないせいで、「私は指さしている方角に向かったはずなのですが……でも、弘長さんの言った通りならつじつまが合いますからね。きっとそうなのでしょう。だってそうでなければ、雷田先生像が動いたことになってしまいます。不届き者とはいえ生徒を守るために、わざと誤った方角を指し示したのだと。それにしても、やっぱり日本語ムズカシイデス」つじつまなんて言葉を知っているくせに、最後はわざとカタコトになって笑った。
 僕もつられて笑いながら、でも頭の片隅で考えていた。
 そう、それならばつじつまが合わないのだ。

 不知火は「銅像が動いた」と言っていた。
 もし僕が指摘した通りの真相ならば、銅像は動いていない。だが不知火は銅像が動くのを見たのだ。
 それに不知火はおびえていた。あのおびえは、もう少しで軽犯罪が露見していた事へのおびえではない。銅像が動いたから、おびえていたのだ。
 真相はきっと、もっと単純なのだ。
 つまり、銅像は動いたのだ。
 雷田先生像は本当に右側を指していたのだ。
 不知火はそれを見たから、ああもおびえているのだ。
 なにぶん、事が軽犯罪だけに、問いただしても不知火は実際に見たことを話しはしないだろう。
 でも僕は確信している。雷田先生像はいたずらをしたのだ。証拠もある。

 いわく、――雷田初代校長は稚気に富み、他愛もない悪戯で生徒や教員を笑わせ、大いに慕われていた。



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