化け猫

〜007 化け猫の噂〜

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「あれ、今日は隆史はいないのか?」
「兄貴なら朝から清家さんと一緒に出かけてます」
「なんだよ、オレは誘ってくんないのかよ」
「宿題のために図書館に行くって言ってました」
「ああ、なら誘われなくてよかった」
 朗らかに言って帰ろうとする赤城英雄(あかぎ・ひでお)を、僕は引き止めた。
「赤城さん、ちょっと上がって行きませんか」
「おっと知子ちゃん、大胆発言だな。年上の男を部屋に誘うなんて」
「そういう意味じゃありません。母さんも浅倉もいますし」
 僕は隣で穏やかに微笑んでいる浅倉塔子(あさくら・とうこ)にあごをしゃくる。
「前から一度、お話を聞かせてもらいたいと思ってたんです。ほら、赤城さんといえばあの――」
 化け猫について。
 そう言うと、赤城英雄は非常に嫌そうな顔をした。



 赤城英雄は僕の兄・弘長隆史(ひろなが・たかし)が中学二年の時に、九州から引っ越してきて以来の親友である。
 すこし小柄なことを気に病んでいるらしいが、スポーツ万能でいくつもの運動部を掛け持ちし、天然の赤毛と童顔があいまって女子にもなかなかの人気を誇るらしい。
 そんな何事にも頓着しないさっぱりとした陽性な人物である彼が、唯一苦手としているのが、猫、なのである。

「猫だけはダメなんだ。オレの婆さん――赤城四(あかぎ・よん)って言うんだがな。最近は自分のことヨン様とかヨンヨン婆とか呼んでやがるけど。ああ、四番目の子供だから四なんだって。昔の名前の付け方はそんなもんだって言ってたな――そのヨンババがな、しょっちゅう化け猫の話をするんだ。
 ほら、聞いたことないか、鍋島の化け猫とか。九州って化け猫の産地なんだよ。
 でもな、オレだって最初から猫が嫌いだったわけじゃないんだ。実際、小さい頃は猫を飼ってた。白と黒と茶色のブチで、人なつっこいかわいい猫だったな。まだ子猫だったと思う。オレにはいい遊び相手だったよ。
 で、その猫には変な癖があったんだ。
 癖っていうのかな。とにかく、オレが口を開けると、中をのぞき込むんだ。
 舌が動いて面白いのか、のどちんこでも動いてるのか、じいっとのぞき込むんだよ。
 ずっと開けてると、恐る恐るって感じで首を突っ込もうとする。そこでオレがゆっくりと口を閉じていくと、びっくりして首を引っ込めるんだ。
 それを何回でもやるんだ。オレもガキだったからな。そんな他愛もない遊びを飽きもせずに何回もやってた。
 だんだん猫も慣れてきて、オレが口を閉じるぎりぎりまで粘るようになった。歯が頭に触れそうになってもまだ首を引っ込めなくて、猫のヒゲとか毛が口ん中にちくちく当たってくすぐったかった。いま思うとすっげえ不衛生だよな。まあガキの頃の話だ。
 オレは口を開けたまま眠る癖があるらしいんだけど、寝てる間に首を突っ込まれることもあった。
 ヒゲや毛が当たって目が覚めるんだ。反射的に口を閉じそうになって、危うい所で我慢したらあごが外れちまったこともあったっけ。
 で。
 ある日のことだ。オレはいつものように猫に口を開けて、猫は首を突っ込もうとして、遊んでた。
 そこをヨン婆に見つかった。オレは別に隠してたわけじゃないし、親父もお袋もみんな知ってたと思う。でもヨン婆はきっと初めて見たんだろうな。
 ヨン婆はオレを突き倒した。
 目を白黒させてるオレを引きずって自分の部屋につれていき、障子をぴしゃりと閉めた。
 オレは訳がわからなかった。ヨン婆がすげえ怒ってることはわかったけど、なんで怒られるのかわからなかった。
 なんとなく、さっき言ったように不衛生だからとか、そういう理由で怒ってるのかと思った。
 ヨン婆はしばらくの間、廊下に面した障子を見つめてた。外の様子を伺うように耳を当てて、そろそろと開いて、廊下の左右を確認すると、さっと後ろ手に閉めて、ゆっくり正座した。オレも自然と正座してた。
 ヨン婆は険しい目でオレをにらみつけると、正座したままにじり寄ってきた。そんなヨン婆の様子が怖くて、オレは逃げそうになった。
 ヨン婆は骨張った手でオレの両肩をつかむと、痛いくらいに握り絞めた。そして耳元でささやいた。

 ――英雄、二度とやったらいかん。

 オレは迫力におされて、とにかく何回も何回もうなずいた。謝った。うなずきながら謝りながら、猫との遊びのことを言ってるんだろうかと考えた。
 ヨン婆もゆっくりゆっくりと、オレが首を縦に振るのを数えるようにうなずきながら、小さく声を潜めて言った。

 ――猫はな、窺ってるんだ。

 何を、とは聞けなかった。何も聞き返せなかった。ヨン婆の目は血走ってて、手は逃がすまいとするようにオレの肩をつかんでる。一刻も早く話が終わって欲しかった。

 ――猫は体が柔らかい。どんなに細い隙間にも入ることができる。

 また化け猫の話が始まったと思った。以前からヨン婆はしょっちゅうオレを怖がらせては楽しんでたからな。
 でもこの時は、顔が違った。
 いつもはにやにや不気味に笑いながら、おどろおどろしく芝居がかった雰囲気で話すんだ。
 でもいまのヨン婆の顔は真剣だ。全く笑っていない。それがかえって怖かった。

 ――猫がどうやって、自分が入れる隙間かどうか調べるか知っているか。

 知らない。首を横に振る。

 ――猫はな、ヒゲで測るんだ。ヒゲで隙間の大きさを測る。

 ――隙間に首を突っ込んで、入れるかどうか調べるんだ。

 ――英雄、さっきのお前は、猫に調べられていたぞ。

 ――お前の中に、入れるのかどうか。

 オレは全身が総毛立つのを感じた。
 でも次の瞬間、障子がすこし開いているのに気づき、子供ながらに安心した。怖かったからじゃない。閉めきった部屋に隙間風が入ったから、寒気を感じただけだと。
 でも。
 また次の瞬間、オレは今度こそ震え上がった。
 障子はヨン婆が閉じた。後ろ手にしっかりと閉じていた。開いていたはずがない。
 ましてや。
 ましてや――すこしだけ開いた隙間の下の方、床に伏せるようにしてこちらを窺う、子猫になんて開けられた訳がないのだ。
 ヨン婆は凍りついたような目で猫を見つめている。
 猫は。
 猫は――ふいと背中を向けて去っていき、それっきりオレの家から姿を消した」



 赤城英雄の長い話が終わった。
「この話を誰かにしたのは初めてだ」
 彼は麦茶を一息に飲むと、短く刈った赤毛をかいて、照れくさそうに笑った。
「知子ちゃん、この話も放送部の番組で使うんだろ?」
「あ、はい。赤城さんさえよければ、ですけど」
 僕は三上塚中学の放送部に所属していて、毎週火曜日に加えこのたび隔週木曜日の昼休みにもワンコーナーをもらい、そこで校内でまことしやかにささやかれる噂の検証をしている。
 赤城英雄の化け猫話も使う予定だった。
「別に構わないよ。ただの思い出話だし、誰に聞かれたって困りはしない」
「ありがとうございます」
 お礼代わり、というわけではないが麦茶をもう一杯勧める。
 遠慮なく今度も一気飲みして、赤城はあぐらをかいた。
「オレが長崎で住んでた家、古い家だからさ、建てつけが悪くて、何もしなくても障子に隙間が開いたりするんだよ。猫がちょっと引っかいただけでも開いたりするさ」
「ええ」
 赤城は弁解するように言う。
 彼はきっと、まだ怖いのだ。あの猫の話が。
「たまたま障子が開いただけ。たまたまその直後に家出しただけ。それだけさ。
 よく考えるとあの猫って、まだ生きてても不思議じゃないんだよな。オレが幼稚園の頃だから、まだ10年前くらいの話だ。子猫だったからまだ寿命じゃないだろ。化け猫だったらなおさらさ。まあ仮に生きてても、九州に住んでるだろうからそうそう会うこともないけど」
 麦茶ごちそうさん――そう言って赤城は立ち上がる。背を向けて、すぐに肩越しに振り返った。

「でも変だよな。あの猫さ、あんなにかわいがってたのに、名前を覚えてないんだ。
 オレだけじゃなくて、ヨン婆も、親父もお袋も、誰も」



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