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三 国 志

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〇三八   孫権の船出





荊州(けいしゅう)




「はあ、孫権さんがお父上と兄上の仇だとして、黄祖(こうそ)さんの首を要求していると?」
劉表
(りゅうひょう)


「はい。断れば一戦交えることも辞さないと言っております」
蒯越
(かいえつ)


「兄上の孫策さんが亡くなったばかりだというのに、喪にも服さずに合戦とは。
孫権さんという方はずいぶんと粗暴な性格のようですね」
劉表
(りゅうひょう)


「それにしても妙だな。あの黄祖が孫堅、孫策を殺したとなぜばれたのだ。
あいつが尻尾をつかまれるとは考えられん」
蔡瑁
(さいぼう)


「黄祖さんも長年、裏の仕事をしてきてお疲れだったのでしょう。
黄祖さんはこのあたりで江夏(こうか)の太守に栄転させて、骨休めしていただきましょう」
劉表
(りゅうひょう)


「劉表……まさか孫権に黄祖の犯行を教えたのはお前か?
しかも黄祖を前線の江夏に出して、孫権に首を取らせ、事を穏便に済ませるつもりか」
蔡瑁
(さいぼう)


「はて、蔡瑁さんが何をおっしゃっているのか私にはとんとわかりませんね」
劉表
(りゅうひょう)


「黄祖は知りすぎたのだ。あとは言わぬが花というものだ、蔡瑁よ」
蒯越
(かいえつ)


「劉表、恐ろしい男だよお前は……」
蔡瑁
(さいぼう)



呉(ご)

魯粛
(ろしゅく)
凌操
(りょうそう)

大富豪

孫家の老将



「兄君の喪にも服さず合戦とは……まったく我が殿はなにを考えておいでなのでしょうかな!」
張昭
(ちょうしょう)


「兄貴とオヤジの仇を取るのが、オレ流の服喪ってヤツだ。
部屋に閉じこもってウダウダしてるより、兄貴らも喜んでくれるだろうよ」
孫権
(そんけん)


「孫策殿も大概だったが、弟君はそれ以上じゃ!
第一、江夏を攻めている間に曹操に背後を衝かれたらどうするのだ!」
張昭
(ちょうしょう)


「そのあたりは都に上がっている張紘(ちょうこう)殿や華歆(かきん)殿がうまくやってくれるだろう」
周瑜
(しゅうゆ)


「だが軍資金はどうするのだ?
大々的な遠征は久しぶりだから、多少の蓄えはあると思うが、反乱の鎮圧でだいぶ出費がかさんでいるのだろう?」
呂範
(りょはん)


「フッ。それも心配ない。出資者がついてくれた」
周瑜
(しゅうゆ)


「うちに二つある蔵の一つをあげるんでえ、それで十分っしょ。ガチで」
魯粛
(ろしゅく)


「そ、そのチャラい若者は誰だ?」
呂範
(りょはん)


「江東にその人ありと言われた魯粛だ。このたび私の招きに応じて力を貸してくれることになった。
大富豪なだけではなく、頭も切れる男だ。頼りにしてくれていい」
周瑜
(しゅうゆ)


「よろしくウイッシュ」
魯粛
(ろしゅく)


「な、名前は聞いたことがあるが……」
朱治
(しゅち)


(また頭痛の種が増えそうじゃ……)
張昭
(ちょうしょう)


「そんなことよりよォ、さっさと遠征軍の陣容を決めちまおうぜ。
早くしねェと程普(ていふ)や韓当(かんとう)が抜け駆けしちまうぞ」
孫権
(そんけん)


「先鋒は俺に任せてくれ。先代、先々代の仇討ちと聞いて黙ってられないのは俺も同じだ」
凌操
(りょうそう)


「おめェはこの戦で引退するんだったな。じゃあ最後の一仕事をお願いするぜ」
孫権
(そんけん)


「息子も立派に育ってくれたから、跡継ぎの心配もいらん。
無事に仇を討ったら、故郷でのんびり余生を送るつもりだ……」
凌操
(りょうそう)



江夏(こうか)




「ジジイはすっこんでな!」
甘寧
(かんねい)


「ぐわああっ! ふ、不覚……」
凌操
(りょうそう)


「凌操!」
孫権
(そんけん)


「さ、最後の最後に役に立てずすまぬ……。殿に預けた、妻の形見の首飾りを、どうか息子に……」
凌操
(りょうそう)


「バカ野郎が! 仇を増やしやがって……」
孫権
(そんけん)


「ここは危険でごわす。早く後方に下がるでごわす」
蒋欽
(しょうきん)


「ザコどもが泡喰って逃げてんぜ! 逃がすかよ!」
甘寧
(かんねい)


「待て、敵は大軍だ。深追いはするな。いったん陣に引き上げるぞ」
蘇飛
(そひ)


「あぁん? 退却命令だと? クソが!」
甘寧
(かんねい)



江夏 黄祖軍




「蘇飛サンさー、なんで引き上げるんデスカ? 勝つ気がないんデスカ?」
甘寧
(かんねい)


「そう怒るな。さっきも言ったが敵は大軍だ。調子に乗って攻めかかっても逆襲されるのがオチだ」
蘇飛
(そひ)


「だからってさー、叩ける時に叩かないってのは意味わかんなくね?
兵が少ないってグチってるくせに、城にこもらずに外に出てるのもわけわかんねーし。
籠城して援軍待つのがフツーじゃね?」
甘寧
(かんねい)


「どうせこの戦は……。いや、なんでもない。次の出陣に備えて休んでおけ」
蘇飛
(そひ)


「え? なんか言いかけたんじゃね? チョー気になんですけど」
甘寧
(かんねい)


「どうせこの戦は負け戦だ」
黄祖
(こうそ)


「し、将軍」
蘇飛
(そひ)


「あ、大将チョリース。――で、負け戦ってなんなんすか?」
甘寧
(かんねい)


「我々は孫権に差し出された生贄だ。援軍は来ない。死ぬのが我々の仕事だ」
黄祖
(こうそ)


「へ? なんなんすかそれ」
甘寧
(かんねい)


「将軍、そんなことを言われては――」
蘇飛
(そひ)


「甘寧は今までよく働いてくれた。知る権利がある。
我々は暗殺部隊として、汚れ仕事をしてきた。だから劉表の裏の顔を知りすぎてしまい、切り捨てられたのだ」
黄祖
(こうそ)


「…………」
蘇飛
(そひ)


「……だからといって孫権に降伏することもできない。我々は父と兄の仇なのだからな。
私や蘇飛の首を差し出せば済むが、江夏の守りを命じられたからそうもいかぬ。
我々にできることは、せいぜい兵に被害を出さないようにして、死ぬことだけだ」
黄祖
(こうそ)


「……なんつーか、黄祖サンさー」
甘寧
(かんねい)


「なんだ。同情ならいらぬぞ」
黄祖
(こうそ)


「いや、意外とおしゃべりだったんすね。オレ驚いたわ」
甘寧
(かんねい)


「フン」
黄祖
(こうそ)


「……甘寧、お前は逃げろ。
お前はまだ若い。俺たちに付き合うことはない」
蘇飛
(そひ)


「はあ? 逃げろったって、さっき孫権んとこのジジイを殺しちまったぜ。
逃げても孫権に追われちまうじゃねーの」
甘寧
(かんねい)


「それなら孫権に降れ」
蘇飛
(そひ)


「それこそ無理じゃね?」
甘寧
(かんねい)


「……邾(ちゅ)の県令にしてやるから赴任しろ。県令が寝返るとなれば受け入れてくれるだろう」
黄祖
(こうそ)


「……カッコつけるわけじゃないけどさー。アンタらを残してオレだけいい目を見るのは嫌だな」
甘寧
(かんねい)


「考えが甘いな。仇のままで孫権に降伏したほうが、ここで死ぬよりよほど辛いぞ」
蘇飛
(そひ)


「処刑を待つだけだった江賊のお前を拾ってやった、我々の言うことが聞けんのか」
黄祖
(こうそ)


「それ言われると返す言葉がねーな……。でもなんつーかさ。顔に似合わずお人好しだよなアンタら」
甘寧
(かんねい)


「お前に言われたくはない」
蘇飛
(そひ)


「フン……」
黄祖
(こうそ)



江夏 数年後

馮則
(ふうそく)
諸葛瑾
(しょかつきん)

孫家の兵士

孫権の腹心



「黄祖を討ち取ったぞ!」
馮則
(ふうそく)


「蘇飛も捕らえました!」
董襲
(とうしゅう)


「よし、ついにやったぜ!」
孫権
(そんけん)


「やれやれ、ようやく江夏が落ちたか。
こう何年も掛かるのならばもっと強く反対していたものを……。
まったく、魯粛が提供してくれた軍資金が無ければどうなっていたことやら」
張昭
(ちょうしょう)


「さっそく蘇飛の首を孫堅艦長の墓の前で刎ねて、黄祖の首と並べて供えてやるぞ!」
韓当
(かんとう)


「こうなってはしかたない。さっさと殺せ」
蘇飛
(そひ)


「どけどけどけどけ! 大将! 孫権の大将!」
甘寧
(かんねい)


「おう、どうした甘寧」
孫権
(そんけん)


「一生のお願いだ! 蘇飛を助けてくれ! 蘇飛はオレの恩人なんだ!」
甘寧
(かんねい)


「な、何を言うんでゲスか! 降将ふぜいがなんということを!」
虞翻
(ぐほん)


「やめろ甘寧。せっかく孫権に仕えるようになったお前の立場が悪くなるだけだ」
蘇飛
(そひ)


「そうはいかねえし。アンタ、死ぬより辛い目に遭えってオレに言ったし。
そう言う自分は楽な道を選ぼうなんてずりいし」
甘寧
(かんねい)


「フン……しばらく会わないうちに口ばかり達者になったようだな」
蘇飛
(そひ)


「孫権の大将! どうしても首が欲しいってんならさ、オレの首をやるから――」
甘寧
(かんねい)


「いらねェよ、んなモン。オレは仇でもないヤツの首を集める趣味はねェぜ。
蘇飛はおめェに預けるから好きにしろ」
孫権
(そんけん)


「あざーっす!」
甘寧
(かんねい)


「お……親の仇をそんなにあっさりと。孫権殿! いいのですかそれで!」
張昭
(ちょうしょう)


「いいっての。甘寧が死んだり、逆ギレしてオレを殺そうとするよりマシだろ?」
孫権
(そんけん)


「…………いや、そんなことしねーし」
甘寧
(かんねい)


「こ、この男! その手があったかという顔をしましたぞ!」
張昭
(ちょうしょう)


「ははは。その前に蘇飛を釈放して助かったぜ。
んじゃあそろそろ帰るか」
孫権
(そんけん)


「では殿、江夏は誰に守らせましょうか?」
朱治
(しゅち)


「へ? いや、守るも何も、別に江夏を占領する気はねェんだけど。
江夏を攻撃してたのは黄祖や蘇飛を殺すためだけだし」
孫権
(そんけん)


「わ、我々はなんのために何年もかけて……ッ!?」
張昭
(ちょうしょう)


「だってまだオレたちにゃ、江夏まで領土を広げる余力はねェぜ?
まずは山越(さんえつ)の連中とか、揚州(ようしゅう)の賊どもをなんとかして、足場を固めるべきだろ。
おい、諸葛瑾」
孫権
(そんけん)


「はいはい」
諸葛瑾
(しょかつきん)


「劉表に江夏は返すからよォ、停戦しようぜって交渉してきてくんな」
孫権
(そんけん)


「はいはい。お任せください」
諸葛瑾
(しょかつきん)


「何年間も争っていた相手と、気軽に和睦を……。
こ、これだけ苦労して何も得られず、せっかく捕らえた蘇飛も殺さず…………ッ!!
――うーん」
張昭
(ちょうしょう)


「旦那様、張昭様が卒倒してしまいました」
程普
(ていふ)


「血管が切れてねェか医者に診せてやってくんな。
――オヤジや兄貴の仇をとらなきゃ、前に進めねェってわけじゃねえけどよ。
まあ、これでオレなりのけじめは付いたぜ。
んじゃあ、別働隊の周瑜や呂範と合流して帰ろうぜ!」
孫権
(そんけん)


(これが孫権か……。
孫家は、孫策の頃よりもさらに繁栄するかもしれんな……)
蘇飛
(そひ)





かくして孫権は仇敵・黄祖の首をあげた。
時はさかのぼり、北方では袁紹が死の床についていた。
さらに失意の名族に追い討ちをかけるように、後継者争いがくり広げられようとしていた。




〇三九   名族の落日