アイコン
三 国 志

トップページに戻る

〇三九   名族の落日








「そ、そこにおるのは曹操か?」
袁紹
(えんしょう)


「やあ袁紹君。すっかりやつれてしまったね。悪いことをしたかな」
曹操
(そうそう)


「まったくその通りである! よくもこの名族を破ってくれたな!
貴様は取るに足らない家柄でありながら、いつも名族の前に立ちはだかった。
曹操、貴様はいったい何が目的で名族の邪魔をするのだ!?」
袁紹
(えんしょう)


「この前も言ったけど、僕の邪魔をしているのは君の方だよ。
袁紹君が僕の進む道に立ちはだかったから、悪いけど踏み台にさせてもらっただけさ」
曹操
(そうそう)


「この名族を足蹴にするとは身の程知らずな!
皇帝を手中にし、名族を乗り越えてまで、貴様はいったいどこを目指しているのだ!」
袁紹
(えんしょう)


「僕は立ち止まりたくなかっただけさ。ずっと歩き続けられる道は何かと考えたら、
それは覇道を歩むことだった。だから僕は陛下を擁し、この国の覇者を目指すことにした」
曹操
(そうそう)


「そ……それだけで貴様は覇道を選んだのか?
それだけの理由で、この名族の野望を砕いたというのか?」
袁紹
(えんしょう)


「それじゃあ逆に聞くけど袁紹君、君はどうして覇権を目指したんだい?
覇道を歩もうとしたのは、本当に君の意思だったのかな。
名家に生まれ、周囲に乗せられるがままに、道を決めたんじゃないかい?」
曹操
(そうそう)


「そ、そんなことはない! そんなことはないぞ!
わ、私は、いや名族は……」
袁紹
(えんしょう)


「おや、君が一人称を『私』にするのは久しぶりだね。
いつ頃からだろうか、君が自分のことを『名族』と呼び始めたのは。
君はそうやって自分を偽り、名族たる自分が歩むべき道を、歩かされていたんじゃないのかな?
これでわかっただろう? 他人に歩かされていた君が、自ら歩んでいた僕に勝てる道理はないってことさ」
曹操
(そうそう)


「め、名族を侮辱するか! わ、私は、いや、め、名族は――」
袁紹
(えんしょう)



鄴(ぎょう)




「閣下、お目覚めですか。うなされていたようでしたが」

(しんぴ)


「う、うむ。夢に曹操が出てきてな。何やら生意気なことをぬかしておった。
よく覚えておらんが、嫌な夢であったぞ」
袁紹
(えんしょう)


「それはお気の毒でした」

(しんぴ)


「そんなことより、田豊(でんほう)と沮授(そじゅ)を呼んでくれ。
いつまでも寝てはいられん。今後のことを協議しなくてはな」
袁紹
(えんしょう)


「か……閣下。し、しかしお二人は……」

(しんぴ)


「どうした、二人に何かあったのか?」
袁紹
(えんしょう)


「……失礼を承知で申し上げます。田豊殿は、閣下が処刑されました」

(しんぴ)


「は……? 処刑? 田豊を? 名族がか?」
袁紹
(えんしょう)


「はい。投獄されていた田豊殿が、閣下の敗北を喜んでいると讒言する者がありまして……。
激怒された閣下は、処刑を命じられました」

(しんぴ)


「田豊を……。そ、それはいつのことだ!?」
袁紹
(えんしょう)


「三日前、官渡(かんと)から撤退してすぐのことです。
閣下はそれから三日にわたり寝込まれて、先ほど目覚められたのです」

(しんぴ)


「そうだったのか……。んん? さっきお前は、二人は、と言ったな。
沮授の身にも何かあったのか?」
袁紹
(えんしょう)


「はい。沮授殿は、官渡から撤退する我が軍の殿軍を務め、戦死されました。
少ない手勢で必死の防戦をしたと聞いております」

(しんぴ)


「そうか。沮授から兵権を奪ったのは名族であったな。
二人が死んだのを忘れてしまうとは、なんということだ……」
袁紹
(えんしょう)


「閣下は敗戦の失意から、体も気力も弱まっています。物忘れもその一環でしょう。
医者は絶対安静にするべきだと言っています、しばらくお休みください」

(しんぴ)


「わかった……」
袁紹
(えんしょう)


「ですが閣下、その前に一つ決めていただきたいことが……。
閣下がお休みの間、ご子息のどちらが指揮を執るか決めてください」

(しんぴ)


「長男の袁譚(えんたん)か、三男の袁尚(えんしょう)か。二人はどうしておる?」
袁紹
(えんしょう)


「お、恐れながら……たがいに兵を出しあい、権力争いに明け暮れています。
武力衝突こそしていませんが、挑発しあっているのです。
先に手を出させて、それを落ち度にして失脚させる狙いでしょう」

(しんぴ)


「むむむむむ……」
袁紹
(えんしょう)


「閣下! 早く後継者を指名していただかないと、我が軍は崩壊いたします」

(しんぴ)


「……だが、どちらにすればよいのだ?
教えてくれ辛。あの曹操に、袁譚や袁尚は勝てるのか……?」
袁紹
(えんしょう)


「………………」

(しんぴ)



官渡(かんと)




「袁紹が亡くなったという情報が入りました。
間者を放って確認しましたが、たしかなようです」
荀攸
(じゅんゆう)


「そうか。彼とは長い付き合いだった。この前も夢のなかで楽しく語り合ったばかりさ。
敵同士とはいえ、個人的には冥福を祈りたいね」
曹操
(そうそう)


「しかし殿、これは一気に袁家の勢力を撃滅する好機じゃ。すぐに兵を進めよう」
程昱
(ていいく)


「小生は反対ですな。袁紹の小せがれどもは、後継者争いに血道を上げておる。
そこに小生らが攻め寄せれば、逆に彼らを結束させてしまいかねない」
賈詡
(かく)


「いやいや、袁譚は後継者争いのため東方面の軍を引き上げているのだぞ。
その隙に曹純(そうじゅん)は袁家の東方の領地を切り崩している。
今こそ曹純と連携して攻めるべきだ!」
王朗
(おうろう)


「主戦派と穏健派で二対一だね。荀攸君の意見はどうかな?」
曹操
(そうそう)


「攻めましょう。袁紹は腐っても当代随一の名族です。
袁紹という屋台骨を失った動揺を突かない手はありません」
荀攸
(じゅんゆう)


「おや、これで三対一だ。皇族の末裔である劉曄君は穏健派だろう?」
曹操
(そうそう)


「投石車を使い詰めでろくに整備ができていない。それに議論が面白くなるし穏健派に一票を投じよう」
劉曄
(りゅうよう)


「気づかいありがとう。最後に郭嘉君はどう思うのかな」
曹操
(そうそう)


「撤退」
郭嘉
(かくか)


「というわけで同点になってしまったね。議長の僕の一存で決めていいかな。
それじゃあ――撤退しよう。あんまり都を留守にするのも気が進まないしね」
曹操
(そうそう)


(ふむ。曹操殿にあやつられているような軍議であったな)
賈詡
(かく)


「主戦派の諸君は気を悪くしないでくれたまえ。なに、数年の辛抱さ。
賭けてもいいが袁家は数年のうちに内部分裂するよ。攻めるのはそれからでも遅くはないさ」
曹操
(そうそう)


(そのための手は打ってある、ということだぞ。曹操は食えん男だぞ)
張紘
(ちょうこう)


(し、しかし同盟相手とはいえ他国の使者である我々に、
あけすけに軍議を見せてしまうとは……。曹操とはとんでもない男だ!)
華歆
(かきん)



北海(ほっかい)




「ぎゃあああああ!」
逢紀
(ほうき)


「袁尚め! 弟の分際で親父の後継者を騙るばかりか、俺に小ざかしい監視役を寄越すとは……。
逢紀の首を袁尚に送りつけてやれ!」
袁譚
(えんたん)


「は、はい、わかりました」

(しんぴ)


「殿、袁尚には審配(しんぱい)をはじめ多くの重臣が肩入れしています。
正面から戦うのは得策ではありません」
郭図
(かくと)


「ならばどうすればいい」
袁譚
(えんたん)


「実は曹操にわたりを付けてあります。曹操に援軍を借りて、袁尚と戦いましょう……」
郭図
(かくと)



呂曠
(りょこう)
呂翔
(りょしょう)

袁尚の将

袁尚の将



『か、閣下! 大変です! 袁譚が攻め寄せてきました!』
呂曠
(りょこう)
呂翔
(りょしょう)


「バカ兄貴が来たからってどうということはない。返り討ちにしてやる!」
袁尚
(えんしょう)


「お待ちください! 袁譚には曹操軍が加わっています!」
審配
(しんぱい)


「なんだって!?」
袁尚
(えんしょう)


「……皮肉なものだな。華々しく討ち死にするつもりが生き残ってしまい、
お前の説得を受けて降伏したはいいが、こうして袁紹閣下の子息への攻撃を命じられるとは」
高覧
(こうらん)


「歩む道の先に何が待ち受けているか、知るものは天のみだ。
人、それを運命という。これも降将である俺たちの運命だろう」
張郃
(ちょうこう)


「この道を行けば何があるのか、行けばわかるさ、か。
処刑された淳于瓊(じゅんうけい)がよく言っていたな」
高覧
(こうらん)


「何をぼさっとしているのだ! 早く兵を進めろ!」
袁譚
(えんたん)


「旧主の御子息とはいえ、今のあなたはただの同盟相手だ。
我々の主君は曹操であり、あなたに命令を受ける筋合いはない!」
高覧
(こうらん)


「ぐぬぬ……」
袁譚
(えんたん)


「何をまごついているのだ。早く兵を進めて旧主の忘れ形見の首を持って来い」
朱霊
(しゅれい)


「……参るぞ高覧」
張郃
(ちょうこう)


「おう」
高覧
(こうらん)


「曹操が味方のまま終わるわけがあるまい。
自分で自分の首を絞めていると、袁譚や郭図はわからぬのか……」
審配
(しんぱい)


「く、くそ! やってくれたなバカ兄貴め!」
袁尚
(えんしょう)


「ここは私が引き受ける。閣下は兄上の袁煕(えんき)様のもとへ逃げられよ。
呂曠、呂翔。閣下を無事にお守りしろよ」
審配
(しんぱい)


『わかりました!』
呂曠
(りょこう)
呂翔
(りょしょう)


「覚えてろよバカ兄貴に曹操め!! 必ず復讐してやるからな!」
袁尚
(えんしょう)





かくして名族は没し、遺された息子たちは醜い跡目争いを繰り広げ始める。
北方に覇を唱えた名族の栄光は、早くも陰りを見せていた。
曹操はその機に乗じ、名族の血を一気に絶やすことができるのか?




〇四〇   袁煕の秘策