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三 国 志

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〇四五   伏龍の智謀





荊州(けいしゅう) 新野(しんや) 曹操軍

夏侯惇
(かこうとん)

曹操の名将



「待たせたな曹仁。長雨のせいで合流が遅れちまったぜ」
夏侯惇
(かこうとん)


「惇兄はあいかわらず雨男だな!」
曹仁
(そうじん)


「知らんのか? 貴人は雨とともにやって来ると言うのだぞ」
夏侯惇
(かこうとん)


「はっはっはっ! 惇兄が貴人なら俺は大王様だな!」
曹仁
(そうじん)


「冗談はともかくとして、手痛い目に遭ったようだな。
だが劉備の参謀だった徐福(じょふく)も我々に降った。あとは烏合の衆だ。さっさと片付けるぞ」
夏侯惇
(かこうとん)


「おうよ! 出陣するぜお前ら!!」
曹仁
(そうじん)



新野城




「一時撤退していた曹仁軍に、第二陣の夏侯惇軍が合流しました。
あわせて7万の大軍が進撃してきています」
孫乾
(そんけん)


「さあ、獲物がやってきたわよ諸葛亮。アンタのお手並み拝見といこうじゃないの!」
張飛
(ちょうひ)


「貴様は何を言っている。まさか夏侯惇と戦うつもりなのか?」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「へ? 戦わんのか?」
劉備
(りゅうび)


「さては曹仁に勝っていい気になっているようだな。
はっきり言ってやろう。あれはまぐれだ。貴様らが夏侯惇に、7万の大軍に勝てる道理はない」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「……天下の伏龍サマがずいぶんと勇敢なことじゃないの。
徐福は十倍の曹仁軍を破ったのよ。こんなことなら徐福をむりやりにでも引き止めとくべきだったわ」
張飛
(ちょうひ)


「ああ、八門金鎖の陣で曹仁を破ったのだったな。徐福にあれを教えたのは余だ」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「そ、そうなのか?」
劉備
(りゅうび)


「その余が貴様らでは勝てぬと言っているのだ。納得したか?
わかったならさっさと逃げ支度をしろ」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「だがどこへ逃げるつもりだ? 落ち延びる心当たりなどないぞ」
簡雍
(かんよう)


「いちいち説明されぬとわからんのか。少しは己の頭を使ったらどうだ。
――劉表(りゅうひょう)が死にかけているのだろう?
今ならその隙をつき、たやすく荊州を手に入れられるではないか」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「ち、ちょっと待て亮さん。表さんから荊州を奪うなんて、そんな恩知らずな真似はできんぞ!」
劉備
(りゅうび)


「……そうなると貴様を皇帝にしてやる計画が5年は遅れるな」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「ぐふっ。……いやいや、やっぱり駄目じゃ! 5年遅れてもかまわん!
表さんから荊州を奪わずに、曹さんから逃げ切る策を立ててくれ」
劉備
(りゅうび)


「まあいい、綺麗事を吐くのは貴様の数少ない美徳の一つだからな。
さいわい第二案も目的地は同じだ。まずは襄陽(じょうよう)に向かう。さっさと準備しろ」
諸葛亮
(しょかつりょう)



新野 南部 劉備軍

劉琦
(りゅうき)

劉表の長子



「劉備様! ご無事でしたか……」
劉琦
(りゅうき)


「おお、表さんの長男だけど弟との後継者争いで劣勢に立たされとる劉琦さんじゃないか」
劉備
(りゅうび)


「ご紹介ありがとうございます。――実は、先ほど父が亡くなったようです」
劉琦
(りゅうき)


「なんですって!? ……でも『ようです』って何よ。はっきりしなさいよね」
張飛
(ちょうひ)


「私も一報を受けて襄陽に駆けつけたのですが、
弟の肩を持つ蔡瑁(さいぼう)の兵に追い返されてしまったのです」
劉琦
(りゅうき)


「劉表殿が亡くなったのをいいことに、強引に弟君に跡を継がせようとしているんですね」
糜竺
(びじく)


「お、教えてください! 私はこれからどうすればいいんでしょうか……」
劉琦
(りゅうき)


「クックックッ。劉姓の人間は無能ばかりのようだな。
劉琦とやら。貴様は高望みしているだけだ。己が身をわきまえろ」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「た、高望みと言われますと?」
劉琦
(りゅうき)


「貴様にはもとより荊州を治める器量はない。ならば身の丈にあった役どころを求めたらどうだ。
たとえば孫権が黄祖(こうそ)を討ったのち、空白地となっている江夏(こうか)。
江夏の太守くらいならば、貴様程度でも務まるだろう?」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「な、なるほど! まずは江夏に逃れ、情勢を見極めたいと思います。
ご助言ありがとうございました!」
劉琦
(りゅうき)


「へえ、あいかわらず口は悪いけど助言してあげるなんて、お優しいじゃないのさ」
張飛
(ちょうひ)


「馬鹿め。これも一手の布石だ」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「フセキ? よくわからんが、それにしてもどうしようかな亮さん。
表さんが死んじまったなら、いまさら襄陽に向かってもしかたないし……」
劉備
(りゅうび)


「馬鹿は馬鹿らしく黙っていろ。目的地は依然として変わらぬ。
襄陽で曹操の追っ手から逃げ切るための道具を集めるのだ」
諸葛亮
(しょかつりょう)



新野 南部 曹操軍




「急報です。荊州の劉表が死にました、はい。
跡を継いだ劉琮(りゅうそう)は我々に恭順の意を示しています、はい」
李典
(りてん)


「ほう、それは面倒が省けるな。で、逃げ出した劉備はどうしている?」
夏侯惇
(かこうとん)


「劉表を弔いたいと面会を求めましたが、すげなく追い返されました、はい。
ですが、劉備を慕って多くの民が集まりました。その数およそ十万。
民と合流した劉備軍はさらに南下しているそうです、はい」
李典
(りてん)


「十万の民が劉備に合流しただと!? あの野郎、そんなに人望があったのか!」
曹仁
(そうじん)


「……というよりも、誰かが民を扇動したようだ。
曹操軍は荊州の民を皆殺しにするつもりだとな」
陳矯
(ちんきょう)


「根も葉もないことを言いやがって! だが厄介だな!
劉備を追うにしても、それだけ民を引き連れていたら邪魔になるぞ!」
曹仁
(そうじん)


「しかしそのぶん移動速度は落ちているだろう。
騎兵で急行して、うまく劉備軍だけを叩くんだ。急ぐぞ曹仁!」
夏侯惇
(かこうとん)



襄陽 南部 劉備軍




「見てみい亮さん! わしを慕ってこんなに多くの民がついてきたぞ!
わしの人気も捨てたもんじゃないのう!」
劉備
(りゅうび)


「貴様の目は節穴か。愚民どもの顔を見てみろ。
貴様を慕ってついてきた連中ならば、なぜ全員が死んだ魚のような目をしている?」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「た、たしかに……アタイも変だと思ってたんだけど」
張飛
(ちょうひ)


「愚民どもは曹操に殺されるのが怖くて、荊州から逃げ出しただけだ。
そこに貴様が通りかかったから、連戦連敗の最弱劉備軍でもいないよりはマシだと、
これ幸いと合流したに過ぎぬ」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「ワ、ワタシも噂を聞いたアル。曹操軍は民を根絶やしにして、荊州全土を焼き尽くすつもりアルと」
麋芳
(びほう)


「妙じゃなあ。曹さんはおっかない人だけど、民にそこまで残酷なことはせんぞ」
劉備
(りゅうび)


「フン。簡単なことだ。その噂は余が弟を使って流したのだ」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「ほう。なんでそんなことをしたか理由はわからんが、諸葛均は大したものだな」
簡雍
(かんよう)


「否。あの愚弟は民を扇動することだけしかできぬのだ。
なぜなら余がそれだけはできるように教え込んだのだからな。
おかげで余の庵に近づこうという愚か者はいなくなった」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「そ、そう。アンタの弟に生まれなくてよかったわ」
張飛
(ちょうひ)


「余が徐州にいた頃にも、曹操が大虐殺をしていると噂を流した。
今回はその前例があったからさらに容易なことだ」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「あっはっはっ。あれは諸葛亮殿のしわざだったのですか。
虐殺の事実などなかったのに不思議なことだと思っていましたよ」
糜竺
(びじく)


「で、でも亮さん。扇動してこんなに多くの民を集めてどうするつもりなんじゃ?
おかげで行軍速度が落ちて、いつ夏侯惇に追いつかれるか、わしゃヒヤヒヤしとるぞ」
劉備
(りゅうび)


「後方の趙雲から急報です! 夏侯惇の騎兵隊が追いつきました!」
孫乾
(そんけん)


「言わんこっちゃないわよ諸葛亮! 今度はどうすんのよ!?」
張飛
(ちょうひ)


「劉備、貴様は愚民どもを盾にして全速力で江夏まで逃げろ。
関羽を向かわせて船は調達してある。江夏の劉琦も迎えに来させる。
急げ。そのための愚民の群れだ」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「お、おう…………」
劉備
(りゅうび)


「あ、アンタってヤツはそれで民を集めたのね……。
でも劉備を逃がすにはそれしかないか……。
わかったわよ! アタイと趙雲が時間を稼ぐわ! 民でもなんでも盾にしてアンタらは逃げなさい!」
張飛
(ちょうひ)



襄陽 南部 曹操軍

于禁
(うきん)

曹操の猛将




「惇兄! ただでさえ狭い道が民で埋め尽くされちまってるぞ!
これじゃあ騎兵は使えねえ!」
曹仁
(そうじん)


「やってくれたな劉備め……。
なにが義の人だ! 民を犠牲に逃げることがてめえの正義か!」
夏侯惇
(かこうとん)


「後続の部隊も次々と到着している。かくなる上は大軍でじわじわと包囲するぞ」
陳矯
(ちんきょう)


「ダンナ! 俺っちの部隊が民を交通整理して道を空ける。
ダンナ方は少数精鋭で劉備を追うんだ!」
于禁
(うきん)


「おう、任せたぞ!」
夏侯惇
(かこうとん)



襄陽 南部 劉備軍




「なによ諸葛亮! アンタまだこんなとこにいたの。死にたくなかったらさっさと逃げなさいよ」
張飛
(ちょうひ)


「護衛ならいる。杞憂だ」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「御主人様は死なないです。私が守るです」
黄月英
(こうげつえい)


「ふーん。小娘をずいぶん頼りにしてるじゃないのさ」
張飛
(ちょうひ)


「この者には人の殺し方だけを教え込んだ。余に仇なす輩はことごとく肉塊に変える」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「肉塊に変えてやるです」
黄月英
(こうげつえい)


「……そ、そう。ともかくここは危険よ。
やり方は気に喰わないけど、アンタが劉備を守るために策を立てたのはわかったわ。
劉備にはアンタの力が必要よ。敵はアタイが食い止めたげるから下がりなさい」
張飛
(ちょうひ)


「当然だ。貴様ごときに言われるまでもない。
だが、慈悲深い余は下がる前に助言を与えてやる。感謝しろ」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「なによ。殴られる前に言いなさい」
張飛
(ちょうひ)


「ここから南に三里。吊り橋がある」
諸葛亮
(しょかつりょう)


………………それだけ!?
橋を落とせとか、大軍でも一人ずつしか進めないから有利に戦えるとか、
劉備を吊り橋の向こうに逃がすからお前が時間を稼げとか、他にもなんか言うことあるでしょ?
張飛
(ちょうひ)


「クックックッ……。言うまでもなくわかっているではないか。
貴様は烏合の衆の劉備軍の中でも多少は見所があるな」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「…………褒め言葉だと受け取っとくわ。
こっからはアタイの仕事よ。さっさと逃げなさい。
劉備を、ついでにアンタも守ったげるわ!」
張飛
(ちょうひ)





かくして曹操の追撃の手は劉備に届いた。
しかし張飛が孤軍奮闘し、諸葛亮は暗躍し、それを迎え撃たんとする。
そして勝敗の鍵は、趙雲子龍の手に委ねられようとしていた。




〇四六   長坂の戦い