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三 国 志

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〇五三   弓腰姫の婿





江東(こうとう) 会稽(かいけい)




「よう周瑜、調子はどうでェ?」
孫権
(そんけん)


「フッ。見苦しい姿をさらしているな。
大事をとっているだけで、もう矢傷は問題ない。じきに復帰できるだろう」
周瑜
(しゅうゆ)


「そりゃよかった。……でも無理すんなよ。
兄貴が死んでからこっち、おめェはずっと働き詰めだからな」
孫権
(そんけん)


「心配は無用だ。曹操の脅威が去った今、いよいよあの計画を実行に移す時が来た。
休んでばかりはいられないからな」
周瑜
(しゅうゆ)


「おう。魯粛が計画したアレか。
……益州(えきしゅう)を獲り、曹操と天下を二分する。天下二分の計だな!」
孫権
(そんけん)


「だがそのためには、除かねばならない障壁がある」
周瑜
(しゅうゆ)


「荊州に居座ってる劉備のヤローか。
前・荊州刺史の劉表(りゅうひょう)の息子を担ぎ上げて、荊州の領有権を主張しているそうだな」
孫権
(そんけん)


「フッ。正統性のある主張だと認めざるをえないだろう。
それに我々が認めずとも、荊州の民は劉備を支持している」
周瑜
(しゅうゆ)


「長坂(ちょうはん)で民を盾にして逃げたヤローが、なんで民から慕われてるんだろうな。
まったく、あの男は得体が知れねェぜ。
……それだってのに、なんでオフクロはあんなヤローのことを」
孫権
(そんけん)


「フッ。なにか悩み事があるようだな。ずっと浮かない顔をしているぞ」
周瑜
(しゅうゆ)


「ああ、この前オフクロに呼び出されただろ。
そん時に、ちィとばかし厄介な頼みごとをされちまったんだ」
孫権
(そんけん)


「……察するところ、妹君のことかな」
周瑜
(しゅうゆ)


「おめェには隠し事できねェな。そうなんだ。
オフクロがよ、尚香(しょうこう)の婿に劉備を迎えろ、なんて言いやがるんだよ」
孫権
(そんけん)


「なるほど。尚香殿は英雄にしか嫁ぐ気はないと常日頃から言っていたな」
周瑜
(しゅうゆ)


「オフクロはそんなら妻を亡くしたばかりの劉備がちょうどいいだろってよォ。
いちおう同盟相手だし、何をしでかすかわかりゃしねェ劉備を押さえつけることもできんじゃねェかとよ」
孫権
(そんけん)


「フッ。母君はたいした軍師だな。
娘の婿取りだけではなく、孫家の未来まで考えておられる」
周瑜
(しゅうゆ)


「……おめェは賛成なのか?」
孫権
(そんけん)


「いや、私がどうこう言える筋合いはない。
それは兄であるあなたと、尚香殿が決めることだ」
周瑜
(しゅうゆ)


「ん………………」
孫権
(そんけん)



荊州(けいしゅう) 江夏(こうか)




「おう、わしは構わんぞ! 孫権さんの妹なら大歓迎じゃ!」
劉備
(りゅうび)


「……こっちからお願いしといてなんですけど、そんな二つ返事で受けちゃっていいんスか?」
魯粛
(ろしゅく)


「アンタもそろそろこのバカの性格をつかみなさいよ。
こいつはね、考えないの。考えることをやめてるの」
張飛
(ちょうひ)


「わしがあれこれ悩んでもろくなことになりゃせんからな!」
劉備
(りゅうび)


「大事な妹ちゃんをこんな甲斐性なしに嫁がせてもいいのか、そっちこそよく考えたほうがいいわよ」
張飛
(ちょうひ)


「いや、孫権のほうはあ、劉備さんさえよければいいって、そういう意向ッスから」
魯粛
(ろしゅく)


「ほんなら決まりじゃな!」
劉備
(りゅうび)


「劉ちゃんはバカだけど女には優しいから、きっと大事にしてくれるぞ」
簡雍
(かんよう)


「じゃあ孫権にはそう伝えるッス。快諾いただきありやっしたー」
魯粛
(ろしゅく)


「ところでその尚香さんとやらは美人かのう?」
劉備
(りゅうび)


「そりゃもう。
義姉の大喬(だいきょう)さん、小喬(しょうきょう)さんと並んだら、まるで三姉妹みたいな」
魯粛
(ろしゅく)


「あの天下一の美人姉妹の二喬と! むふふふふ。そりゃ楽しみじゃのう……」
劉備
(りゅうび)


「劉ちゃん、よだれよだれ」
簡雍
(かんよう)


「でもぶっちゃけ尚香さん、見た目はともかく性格きついッスよ。
孫権つーか、兄貴の孫策さんや親父の孫堅さんにそっくりらしくて――」
魯粛
(ろしゅく)


「あら、そんなの平気よ。きつい性格なら耐性あるから」
張飛
(ちょうひ)


「……貴様らなぜ余を見る」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「ましてや女のきつい性格ならなーんも問題なしじゃ。
――魯粛さんや、わしはすぐにでも出発できるけどそっちは大丈夫かのう?」
劉備
(りゅうび)


「ガチで話が早くて助かるッス。
使者を先に孫権んとこに行かせるんで、すぐに来てもらっていいッスよ」
魯粛
(ろしゅく)


「善は急げじゃ! さっそく花嫁を迎えに行くぞ!」
劉備
(りゅうび)


「趙雲、貴様がついていけ。護衛がてらこの色ボケが羽目を外しすぎぬよう見張れ。
手に余るようなら斬れ」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「ウスッ! いちおう斬らない方向でがんばるッス」
趙雲
(ちょううん)


「簡雍と孫乾も同行しろ。別に何もする必要はない。
劉備を野放しにしなければそれでよい」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「あいよ。ツッコミ役は必要だもんな」
簡雍
(かんよう)


「はい。定期的に軍師に連絡を入れます」
孫乾
(そんけん)


「孫権のもとには余の知人がいる。困ったらそいつを頼れ。
……いや、愚兄ではない。荊州一いい男だ。手配しておく」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「わかったッス」
趙雲
(ちょううん)


「わはは。魯粛さんと龍さんがそろうとスッスッスッスッにぎやかじゃのう」
劉備
(りゅうび)


「ぶっちゃけキャラがかぶってるのは気にしてたッスよ。
――そんなことより、孫権のもとへ案内するウイッシュ」
魯粛
(ろしゅく)



会稽




「おう、てめェが劉備か。年のわりには若そうじゃねェか」
孫権
(そんけん)


「ほう、あんたが権さんか。若造のわりには老けてるのう」
劉備
(りゅうび)


「言うじゃねェか。だったら兄上って呼んでくれてもいいんだぜ?」
孫権
(そんけん)


「わはは。わしは本物の義弟にもそんな呼び方されたことないぞ」
劉備
(りゅうび)


「そりゃてめェが頼りねェからだろ」
孫権
(そんけん)


「もっともじゃな! 権さんは初対面なのにわしのことをよく知っとるのう」
劉備
(りゅうび)


「屈託のねェヤローだぜ……。まあ立ち話もなんだ。座れや」
孫権
(そんけん)


「座るとも座るとも。――で、花嫁さんはどこにおるんじゃ? わしは早く顔が見たいぞ」
劉備
(りゅうび)


「劉ちゃん、よだれよだれ」
簡雍
(かんよう)


「そうがっつくな。嫁入りにはいろいろと準備があんだよ。
兄貴の前なんだから自制しろよな。いい年こいてんだしよォ」
孫権
(そんけん)


「わはは。権さんは本当にわしの兄上みたいじゃな」
劉備
(りゅうび)


「フッ。諸葛亮先生も愉快な方だったが、劉備殿はそれ以上だな」
周瑜
(しゅうゆ)


「おっ。名乗られずともあんたの名前は当てられるぞ。
江東一の色男こと周瑜さんじゃろ!」
劉備
(りゅうび)


「虚名を知っていただき光栄だ。私が周瑜です」
周瑜
(しゅうゆ)


「……なんか顔色が悪いみたいじゃが大丈夫か?
色男じゃからもともと白い顔なのかのう?」
劉備
(りゅうび)


「もともと色白なだけです。お気遣いは結構。
それよりささやかながら宴席を用意しました。ごゆるりとお過ごしください」
周瑜
(しゅうゆ)


「おお! 江東は魚も酒も格別じゃと聞いとるぞ。楽しみじゃな龍さん!」
劉備
(りゅうび)


「ウスッ。まず自分が毒見させてもらうッス」
趙雲
(ちょううん)


「ち、趙雲。そういうことを口にするな……。
劉備様もどうか飲み過ぎませんように……」
孫乾
(そんけん)


「毒見ならオレがしてやんよ。今日は無礼講だ。浴びるように飲んでくんな」
孫権
(そんけん)


「さっすが兄さんは話がわかるのう!」
劉備
(りゅうび)


「……兄さんはやめろ」
孫権
(そんけん)


(……破天荒な男だ。だがこの男の周りに張飛や関羽、なにより諸葛亮が集まるのか。
私には計り知れない、不思議な魅力があるのだろうか)
周瑜
(しゅうゆ)


(……いや、能天気なだけだと思うッスよ)
魯粛
(ろしゅく)



会稽 宴会場

小喬
(しょうきょう)
孫尚香
(そんしょうこう)
大喬
(だいきょう)

周瑜の妻

孫権の妹

孫策の妻



「いやー江東の食い物は実に美味いのう!
魚はもちろん肉も野菜も絶品じゃ!」
劉備
(りゅうび)


「質がいいのは当然だが、最近いい料理人も入ったんだ。
何度も妻を亡くしてる不運なヤローだけど、腕は確かでよォ」
孫権
(そんけん)


「……なんかどっかで聞いた話じゃのう?」
劉備
(りゅうび)


「失礼します。お酌をさせていただきます」
小喬
(しょうきょう)


「おお! 美人じゃ! 超美人じゃ!
んふふふふ。もうちっとこっちゃ来い。名前はなんというんじゃ?」
劉備
(りゅうび)


「愚妻の小喬です」
周瑜
(しゅうゆ)


「なんと周さんの奥さんか! それも二喬の一人じゃと!
んふふふふ。人妻の魅力がぷんぷんじゃのう~」
劉備
(りゅうび)


「劉ちゃん、よだれよだれ」
簡雍
(かんよう)


「ちょいと邪魔するぜ!」
孫尚香
(そんしょうこう)


「尚香さん!」
魯粛
(ろしゅく)


「へ? 尚香っつーと、わしの花嫁の?」
劉備
(りゅうび)


「ふーん。こいつらが劉備んとこの連中か。どいつもこいつもしけたツラしてんなァ!」
孫尚香
(そんしょうこう)


「尚香……何しに来たんだおめェ」
孫権
(そんけん)


「おれの旦那になろうってヤローのツラを拝みに来たに決まってんだろ!
お。こいつか? 劉備ってのは」
孫尚香
(そんしょうこう)


「サーセン。自分はお供の者ッス」
趙雲
(ちょううん)


「ええー。おれ、このイケメンのほうがいいなァ。こっちに代えてくれよ兄貴ィ」
孫尚香
(そんしょうこう)


「バーカ。おめェと劉備の三下が結婚してオレらに何の得があんだよ」
孫権
(そんけん)


(うわあ……遠慮なくぶっちゃけるなこの兄妹……)
孫乾
(そんけん)


「わしが劉備じゃよ尚香さん!」
劉備
(りゅうび)


「……ああ。はいはい、おめーね。はいはい。
耳は長ェし手も長ェ。噂どおりの化け物体型だな……」
孫尚香
(そんしょうこう)


「いやーわしも有名になったもんじゃな」
劉備
(りゅうび)


「うんうん。でも悪くねェぜ。凡人のルックスじゃねェもんな。
50過ぎてるわりに若そうだしよォ。よく見りゃそこそこイケメンじゃねェか」
孫尚香
(そんしょうこう)


「むふふふふ。そんなに褒められたら照れるのう」
劉備
(りゅうび)


「尚香! 勝手に上がり込んでどういうつもりなの?」
大喬
(だいきょう)


「いけね。大喬ねーちゃんに見つかっちまった」
孫尚香
(そんしょうこう)


「大喬!? な、なんと二喬がそろい踏みじゃと!」
劉備
(りゅうび)


「じゃあな劉備。兄貴とおふくろが決めた縁談だけどよォ。
おれもアンタのことまあまあ気に入りそうだぜ。嫁入りしたらよろしくな!」
孫尚香
(そんしょうこう)


「おう! 待っとるぞ尚香さん!」
劉備
(りゅうび)


「尚香! なんてはしたない……。お待ちなさい!」
大喬
(だいきょう)


「はっはっはっ。おい、やるじゃねェかよ劉備!
あの跳ねっ返りに気に入られるなんてたいしたもんだぞ」
孫権
(そんけん)


(尚香殿もあっという間に篭絡してしまうとは……。
やはり劉備という男、あなどれん……)
周瑜
(しゅうゆ)


(いや、尚香さんと馬が合いそうな気はしてたッスよ。
これでひとまず安心ッスね。後は……)
魯粛
(ろしゅく)


(ああ。劉備には二度と荊州の土を踏ませはしない)
周瑜
(しゅうゆ)



許昌(きょしょう)の都




「あはは。劉備と孫権の妹が結婚とは参りましたね。
両軍が結束したらますます厄介なことになりそうだ」
荀彧
(じゅんいく)


「フン。そんなことにはなりそうもないという口振りじゃな」
程昱
(ていいく)


「あはは。引退したとはいえ程昱殿の慧眼は衰えませんね。見抜かれちゃいましたか。
――孫権、いや片腕の周瑜は若さに似合わず老獪な男です。
ただの政略結婚ではなく、劉備を陥れる計略が裏に潜んでいるでしょう」
荀彧
(じゅんいく)


「あわよくば共倒れになってくれればいいんじゃがな。そうすれば楽に中華統一にこぎ着けられる」
程昱
(ていいく)


「おやおや、これは程昱殿とは思えない穏便な意見ですね。
引退して丸くなってしまわれたんですか?」
荀彧
(じゅんいく)


「フン。現役ならいざ知らず、一線を退いたら後進の者には楽をしてもらいたいと思うのは当然じゃろう。
だいたい年寄り扱いするでないわ。ワシは頭脳が衰えたから引退したわけじゃないぞ」
程昱
(ていいく)


「……やはり、孔融(こうゆう)殿の処刑が引退の理由ですか」
荀彧
(じゅんいく)


「フン。理由の一つではあるな。ワシはこの通り口の減らない男じゃ。
殿に余計な口を叩いて、孔融のような舌禍を招かんとも限らんわい」
程昱
(ていいく)


「殿はそのような方ではありません!
あれは孔融殿が、亡くなった曹沖(そうちゅう)様をないがしろにするようなことを言ったからで――」
荀彧
(じゅんいく)


「孔融はあのとおりの男じゃったが、あくまでも儒学者としての意見を述べただけじゃ。
それで処刑はやり過ぎだろうて」
程昱
(ていいく)


「……私も殿に再考を求めました。
しかし、こと賞罰にかけてはいったん命じたことを引き下げることはできないと――」
荀彧
(じゅんいく)


「いや、お前や殿を責めているわけではない。
処刑されずとも、遅かれ早かれ孔融は身を滅ぼしていたじゃろうよ。
ワシもそろそろ引退しようと思っておったんじゃ。いい機会だったというだけじゃ」
程昱
(ていいく)


「………………」
荀彧
(じゅんいく)


「それよりお前の身のほうが心配じゃ。殿と儒学者どもの間で板挟みになってるんじゃろ?
顔色が優れんぞ。ろくに寝ておらんのじゃろう」
程昱
(ていいく)


「あはは。心配はいりませんよ。今は殿も都に留まってくれていますし、私の仕事は格段に減っています。
程昱殿こそ、引退して気が抜けて、ぽっくり逝ってしまわぬように用心してください」
荀彧
(じゅんいく)


「フン。憎まれ口を叩きおって……」
程昱
(ていいく)



会稽 劉備軍

??
(??)

諸葛亮の知人



「劉備先輩にも困ったッス。尚香先輩に夢中で、すっかりメロメロになってるッス。
荊州に帰る気がなくなったんスかね?」
趙雲
(ちょううん)


「その可能性はおおいにあるな。
劉ちゃんはあのとおりのんきな性格だから、毎日遊んで暮らせればいいと思っておる」
簡雍
(かんよう)


「しかしいつまでもここに逗留しているわけにはいきません。
曹操も今は鳴りを潜めていますが、いつ動き出すことか……」
孫乾
(そんけん)


「でも明日も明後日もずーっと先まで、孫権先輩の重臣たちとの宴会の予定が入ってるッス。
それを勝手に取り消したら劉備先輩、激怒するんスよね……」
趙雲
(ちょううん)


「へそを曲げられたら、ますます帰る気をなくすぞ。
諸葛亮の言ってたとおり、そろそろバッサリ斬っちまうか?」
簡雍
(かんよう)


「お、お待ちください。軍師はたしか、このような時に備え、御友人を頼るように言っていました」
孫乾
(そんけん)


「ウスッ。その友人に連絡を取りましたッス。そろそろ来てくれるはずなんスけど――」
趙雲
(ちょううん)


「えーと。やつがれを呼び出したのはあんたさんらかい?」
??
(??)


「おっ。ひょっとしてアンタが諸葛亮先輩の友人の」
趙雲
(ちょううん)


「おお、やっぱりそうかい。やつがれは龐統ってもんだ。よろしくやってくだせぇ」
龐統
(ほうとう)


「龐統!? そ、その名はたしか軍師の異名である伏龍と並び称される――」
孫乾
(そんけん)


「ああ、鳳雛(ほうすう)かい? いかにもやつがれの異名でさぁ。
もっとも、あの薄気味悪い諸葛亮の奴といっしょくたにされるなんて、いい迷惑ですがね」
龐統
(ほうとう)


「諸葛亮先輩の友人ではないんスか? あ、サーセン。自分は趙雲っていう者ッス」
趙雲
(ちょううん)


「雲の字かい。そっちは簡の字と乾の字と。気が向いたら覚えときまさぁ。
で、誰が誰の友人だって? よせやい、諸葛亮に友人なんているわけねえでしょうよ。
ああ、馬良(ばりょう)とかって変人がいたな。あれは変人同士で気が合ってるだけでさぁ。
やつがれは違いやすよ」
龐統
(ほうとう)


「馬良といえば白眉(はくび)の異名で知られる荊州一の名士です。
軍師は馬良とも知己だったのですか……」
孫乾
(そんけん)


「あんたと諸葛亮の関係はおいといて、知恵を貸してくれるんだろ?
これこれこういうわけで、うちらは困ってるんだ。どうにかしてくれ」
簡雍
(かんよう)


「ふーん。劉備の家臣でもないやつがれに、劉備をどうにかしろと?
諸葛亮の奴はあいかわらず無理難題を押し付けるねぇ」
龐統
(ほうとう)


「諸葛亮は困ったらあんたを頼れと丸投げしとった。
そういえばあんたのことを荊州一いい男だとも言っとったぞ」
簡雍
(かんよう)


「けっ。都合のいい時だけ持ち上げやがって」
龐統
(ほうとう)


「龐統さん、お久しぶりです」
諸葛均
(しょかつきん)


「し、諸葛均殿? いつの間においでなさったのですか?」
孫乾
(そんけん)


「兄はそろそろみなさんが困られて、龐統さんを頼る頃合いだと思い、私に手助けに行くように命じたのです」
諸葛均
(しょかつきん)


「諸葛亮はとうとう千里眼まで身につけたんかい? どんどん化け物じみてくるなあいつ……。
ともかく扇動の名手の均の字が来たなら、やることは決まったかな。
それじゃあみなさんらにも手伝ってもらいやすぜ。
なーに。難しいことじゃありやせん。ちょいと一芝居打ってもらうだけでさぁ……」
龐統
(ほうとう)



会稽 軍議場




「曹操が荊州と合肥(がっぴ)方面から南下を開始しただと?」
孫権
(そんけん)


「はい。赤壁の敗戦の雪辱を晴らすため、数十万の軍勢を動かしたそうです」
諸葛瑾
(しょかつきん)


「荊州は劉備のヤローに任せるとして、問題は合肥だな。
合肥のすぐ南、濡須(じゅしゅ)の防備はどうなってる?」
孫権
(そんけん)


「徐州(じょしゅう)攻めに失敗した呂範(りょはん)さんと、太史慈(たいしじ)が守ってるッス」
魯粛
(ろしゅく)


「周泰(しゅうたい)と董襲(とうしゅう)、それに蒋欽(しょうきん)を援軍に向かわせろ。
場合によっちゃあオレも出るぜ」
孫権
(そんけん)


「フッ。それには及ばない」
周瑜
(しゅうゆ)


「あぁん? 戦下手のオレじゃ足手まといだって言いてェのか?」
孫権
(そんけん)


「そういう意味ではない。曹操の南下は、まやかしだと言っているのだ」
周瑜
(しゅうゆ)


「まやかし?」
諸葛瑾
(しょかつきん)


「私が集めた情報によると、曹操の目は南よりもむしろ西に向いている。
彼らはいまだ赤壁の敗戦で受けた痛手から立ち直ってはおらず、水軍の整備も進んでいない。
あの曹操がそんな不完全な陣容のまま、南下を企てるだろうか?」
周瑜
(しゅうゆ)


「前置きはいいから結論だけ言えや」
孫権
(そんけん)


「曹操の南下は、諸葛亮が流した偽情報だ。これは曹操に備えるためという名目で、劉備を荊州へ帰すための策だ」
周瑜
(しゅうゆ)


「しかし、実際に合肥から多くの民が戦乱を避けて濡須へと避難していますよ。
これは戦の兆候ではありませんか?」
諸葛瑾
(しょかつきん)


「合肥の守将だった劉馥(りゅうふく)が没し、代わって入った張遼は、強引な統治を進めていると聞く。
圧政を嫌った民を諸葛亮が扇動したのだろう。
長坂の戦いの際にも、諸葛亮は民を意のままに操り、曹操に対する盾とした。扇動はお手のものだ」
周瑜
(しゅうゆ)


「はっはっはっ。弟はずいぶんと暗躍しているようですね」
諸葛瑾
(しょかつきん)


「諸葛センセーは、劉備一人を取り戻すために、そんな大掛かりな策を講じてるってのか?
にわかには信じらんねェ話だな」
孫権
(そんけん)


「劉備らが荊州刺史として担ぎ上げている劉琦(りゅうき)が、
重病で危篤に陥っているという情報もつかんでいる。
劉琦を失えば、劉備らが荊州を占領している大義名分も薄れてしまう。一刻も早く劉備を奪回したいのだろう」
周瑜
(しゅうゆ)


「ふーん。オレの知らねェ情報をそうバンバン出されちゃあ、ぐうの音も出ねェな。
だがどうするよ? 劉備を骨抜きにして、あわよくば吸収合併しちまうって策は諦めんのか?」
孫権
(そんけん)


「劉備を孫権さんの一族に迎え入れ、軍勢を丸ごといただいちゃうってのが最善でしたが、
諸葛亮さんが動き出したらそうはいかないッスね。
いっそのことバッサリ行っちゃいましょうか? あ、尚香さんがいるからダメか」
魯粛
(ろしゅく)


「いや、尚香も孫家に生まれたからにゃあ、いつでも家のために死ぬ覚悟はできてんだろうよ。
いざとなったら遠慮はすんな。バッサリ行っちまえ」
孫権
(そんけん)


「そう話を急ぐな。必ずしも殺す必要はない。劉備は我々の手の内にあるのだ。
要は劉備を江東から出さずに――。
なんだこの声は。
外が騒がしいぞ。何かあったのか」
周瑜
(しゅうゆ)


「い、一大事です! こ、この軍議場が包囲されています!」
厳畯
(げんしゅん)


「包囲だと!? さては劉備のヤローだな!
先手を打ってくるたァいい度胸だ。だが包囲されるまで駐屯軍は何をしてやがったんだ!?」
孫権
(そんけん)


「そ、それが――」
厳畯
(げんしゅん)


「おい馬鹿兄貴!」
孫尚香
(そんしょうこう)


「なっ!?」
孫権
(そんけん)


「聞いてんのかよ馬鹿兄貴! てめェ、おれの旦那に手ェ出そうたァいい度胸じゃねェか」
孫尚香
(そんしょうこう)


「も、もしや包囲軍を率いているのは……」
諸葛瑾
(しょかつきん)


「おれだよ! この軍議場はおれたち劉備軍が包囲した!」
孫尚香
(そんしょうこう)


「劉備軍ってことはあ、劉備さんもそこにいるんスかあ?」
魯粛
(ろしゅく)


「へっ。敵に答えてやる義理はねェな」
孫尚香
(そんしょうこう)


「……尚香、てめェも孫家の女なら、家のために死ぬ覚悟はできてるはずだ。
おとなしく劉備をオレたちに引き渡しな。さもねェと躊躇なく殺すぜ。
嫁いで十日と経ってねェ相手にどこまで義理立てする気だ?」
孫権
(そんけん)


「十日だろうと三日だろうと関係ありません」
大喬
(だいきょう)


「あ、義姉上までいんのか!?」
孫権
(そんけん)


「私も嫁いで一年と経たずに孫策様に先立たれました。
ですがこの想いは今も、これから先も孫策様とともにあります。夫婦とはそういうものです」
大喬
(だいきょう)


「あー。その、なんだ。オレはいま尚香と話してんだ。
わりィが義姉上は、ちょっと下がっててくんねェかな」
孫権
(そんけん)


「いいえ、下がりません」
小喬
(しょうきょう)


「し、小喬……」
周瑜
(しゅうゆ)


「孫権様、あなたの立場もわかりますが、尚香の気持ちも考えずに、
夫婦の仲を裂こうなどという考えには賛同できません」
小喬
(しょうきょう)


「……さすがに二喬様は討てないッスよね」
魯粛
(ろしゅく)


「兄貴はさっき、孫家の女なら死ぬ覚悟があるかと言ったな。
あるに決まってんだろ! 孫家の女は、旦那のためなら兄貴と一戦する覚悟はいつでもできてらァ!」
孫尚香
(そんしょうこう)


「くっ……。まさか尚香がここまで劉備のヤローに惚れ込んでるとはよォ」
孫権
(そんけん)


「どうした馬鹿兄貴! おれが邪魔なら正々堂々と一騎打ちしようじゃねェか!
弓腰姫(きゅうようき)とうたわれた、おれの弓の腕を恐れねェなら出てこいや!」
孫尚香
(そんしょうこう)


「………………」
孫権
(そんけん)


「待て孫権殿。ここで尚香殿を討ってなんになる?
小喬は夫として私が討つとしても、大喬殿まで手にかけるのか?」
周瑜
(しゅうゆ)


「………………チッ」
孫権
(そんけん)


「それに劉備の姿が見えないのが気にかかる。
おそらく劉備はすでに、この都から脱出しているに違いない。劉備の後を追うのが先決だ」
周瑜
(しゅうゆ)


「……あいつらは劉備が逃げるまでの時間稼ぎをしてるってことか」
孫権
(そんけん)


「外の諸葛亮の陽動に気を取られて、内の動きに気づかなかった私の失策だ……」
周瑜
(しゅうゆ)


「……そういやあ孫策の兄貴が言ってたっけな。
尚香はオレたち兄弟の中で一番、オヤジに似てるってよォ。
けっ。見てみろよあの男勝りの勇姿を。ガキんときに見た、オヤジそっくりじゃねェか……」
孫権
(そんけん)



会稽 西




「やつがれの策なんて、ぜーんぶ無駄になっちまいやしたね」
龐統
(ほうとう)


「たしかに尚香様のおかげで脱出できたようなものですが、
しかし尚香様に全て打ち明けて協力を仰ごうと考えたのは、龐統様ではありませんか」
孫乾
(そんけん)


「別にいばることじゃありやせんよ。やつがれは江東に長いこと住んでて、
あんたさんらよりも、尚香さんの気性を知ってただけのことでさぁ」
龐統
(ほうとう)


「それにしてもやっこさんには驚かされたな。
まさか自分が孫権の城を攻めるから、その隙に逃げろと来るとは。まったくたいした女だ」
簡雍
(かんよう)


「お言葉に甘えて出てきちゃったッスけど、尚香先輩は大丈夫ッスかね」
趙雲
(ちょううん)


「なーに心配はいりやせんよ。孫権の二人の義姉までついてってんだ。
孫権もあの二人にまで手を上げることはないでしょうよ」
龐統
(ほうとう)


「むしろ問題は……」
孫乾
(そんけん)


「ぐおー。ぐおー」
劉備
(りゅうび)


「……目が覚めたら劉備先輩、激怒するでしょうね」
趙雲
(ちょううん)


「尚香に勧められるままに浴びるように飲んどったからな。
まあ、江東を脱出するまでは起きやせんよ。起きても当分は二日酔いだ。どうとでもごまかせる」
簡雍
(かんよう)


「それにしてもいい女でしたなあ。
旦那のために命まで張る、あんないい女を置いてかなくちゃならんとは、実に惜しい」
龐統
(ほうとう)


「でも、尚香先輩は劉備先輩のどこにあんなに惚れ込んだんッスかね?
言っちゃ悪いけど劉備先輩ってどこからどう見ても駄目人間なのに」
趙雲
(ちょううん)


「……お前がそれを言うか」
簡雍
(かんよう)


「おっ。諸葛均殿が追いついて来ましたよ」
孫乾
(そんけん)


「まずは首尾よく行きましたね。孫権は追っ手を差し向けてきましたが、
尚香様の反乱鎮圧に手間取って、だいぶ後手を踏んでいます。
尚香様も無事に孫権と和解したようですよ」
諸葛均
(しょかつきん)


「均の字こそご苦労でさぁ。不発に終わった扇動だったが、
合肥の住民を大勢、江東に移住させたそうで」
龐統
(ほうとう)


「曹操陣営には大打撃だったでしょう。扇動も無駄ではなかったと思いますよ」
諸葛均
(しょかつきん)


「それじゃあ、孫権の追っ手は自分が引き受けるッス。お気をつけて、先に行っててください」
趙雲
(ちょううん)


「趙雲も気をつけて。
――ところで、龐統様はどうなさるのですか?
我々に同行しているところを見ると、このまま劉備様に仕えてくださいますか?」
孫乾
(そんけん)


「やつがれがあんたさんらに協力してたことも、おいおい露見しちまうでしょうからね。
まずいことになる前に、劉備さんにご厄介になろうかと思ってやすが、構いませんかね」
龐統
(ほうとう)


「こっちは大歓迎だぞ。うちには頭脳派が少ないから助かる」
簡雍
(かんよう)


「そいつはありがてえ。諸葛亮のヤツにも、手伝わせた報酬をもらわないとな」
龐統
(ほうとう)


「うーん。むにゃむにゃ。えへへ。尚香さんや、もうちっとこっちゃ来い……」
劉備
(りゅうび)


「……劉備様の置かれた状況を的確に表す言葉があった気がするのですが」
孫乾
(そんけん)


「知らぬは亭主ばかりなり」
簡雍
(かんよう)


「だな」
龐統
(ほうとう)





かくして劉備軍は周瑜の罠を脱した。
孫尚香に策を阻まれた周瑜は、見果てぬ夢のため、ついに立ち上がる。
だが彼の背後には死神の影が迫っていた。




〇五四   美周郎の夢