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三 国 志

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〇七九   天に二日あり





許昌(きょしょう)の都 宮廷

曹節
(そうせつ)

献帝の妻。曹操の娘




「な――なんという無礼な!
いくら兄ちゃんの言葉とて許すわけにはいかない!
兄ちゃんを、曹丕をここにつれてきなさい! ぼくが問い質してやる!」
曹節
(そうせつ)


「こ、皇后様、どうか落ち着かれよ」
華歆
(かきん)


「これが落ち着いて聞いていられるか!
帝位を禅譲しろだって? 華歆! お前は曹丕の臣である以前に漢の臣であろう!
漢の禄をはむお前が献帝陛下によくもそんなことを言えるな!」
曹節
(そうせつ)


「はしたないね曹節君。皇后なら皇后らしくしたまえ」
曹丕
(そうひ)


「兄ちゃん! いや曹丕! そこに直れ!
曹彰兄ちゃんから習った虎殺しの奥義を見せてやる!」
曹節
(そうせつ)


「怖い怖い。たしかに素手の勝負なら君には敵いそうもない。
でもご覧のとおり、僕の左手には亡き父上から習った剣がある。
いくら君でも剣には勝てないだろう?」
曹丕
(そうひ)


「むむむ。皇后であるぼくを脅すつもりか!?
そもそも帯剣して宮中に上がるなんて――」
曹節
(そうせつ)


「よしなさい、曹節。
…………もういいのだ」
献帝
(けんてい)


「陛下! もういいってどういうこと?」
曹節
(そうせつ)


「曹丕殿。あなたに帝位を譲ろう」
献帝
(けんてい)


「!?」
曹節
(そうせつ)


「これはこれは。さすがに陛下は話が早くて助かるね。
僕も手荒な真似はしたくない。だから禅譲という形を取ろうと言うんだ。
曹節君と違いそのあたりを陛下はよくご存知だよ」
曹丕
(そうひ)


「な――なにが禅譲だ! こんなのは簒奪だ!」
曹節
(そうせつ)


「曹節、お前の気持ちはありがたいが、それ以上の言葉は慎みなさい。
……朕は何度も曹操に帝位を譲ろうと持ちかけた。
曹操にはいつも断られたが、その子息に譲れるのならば悔いはない」
献帝
(けんてい)


「でも、でも、陛下ぁぁ……。ええ~ん……」
曹節
(そうせつ)


「話はついた。華歆君、すぐに準備を整えたまえ」
曹丕
(そうひ)


「は、はい!」
華歆
(かきん)


「これでいい。これでいいんだ。だから泣くな、曹節……」
献帝
(けんてい)



建業(けんぎょう)




「曹操のバカ息子が皇帝になったって? へ~え」
孫権
(そんけん)


「バカむ……曹丕様は献帝陛下から禅譲されるという形式で、帝位につかれました。
その後、献帝は僻地へ追いやられたとも、暗殺されたとも伝わっています」
諸葛瑾
(しょかつきん)


「な、な、なんという傲慢な、横暴な、不遜な、尊大な……」
張昭
(ちょうしょう)


「こんなことは許しがたいゲス! 即刻、曹丕を討つでゲスよ!」
虞翻
(ぐほん)


「――と、儒者の連中は御立腹だけどよォ。陸遜、おめェはどう思うよ?」
孫権
(そんけん)


「そうですね。曹丕さんが皇帝になられたなんて、とってもおめでたいことです。
ぜひお祝いしましょう!」
陸遜
(りくそん)


「い、言うに事欠いてお祝いだと!?」
程秉
(ていへい)


「き、貴様は何を言っているかわかっているのか!?」
厳畯
(げんしゅん)


「ええ? だって、ボクらは曹丕さんに降伏してるんですよ。
臣下が主君の即位をお祝いするのは当たり前じゃないですか~」
陸遜
(りくそん)


「ははっ。違ェねェや」
孫権
(そんけん)


「そ、孫権殿…………!」
張昭
(ちょうしょう)


「それにそれに、お祝いしたらきっとお返しがもらえますよ。
曹丕さんが皇帝なら、孫権艦長は王位くらいもらえるんじゃないかな?」
陸遜
(りくそん)


「それはいい。艦長は偉そうにしてますが官位はたかが荊州刺史に過ぎませんからね。
王になれれば箔が付くというものです」
諸葛瑾
(しょかつきん)


「そうなりゃますますでけェ顔ができるってもんだ。
――ってなわけで、誰か曹丕のヤローに御祝儀を届けてきてくんな」
孫権
(そんけん)


「……漢の滅亡までも自分のために利用なさるか。
まったく、我が御主君はたくましくなられたものだ! 大変に結構ですな!!」
張昭
(ちょうしょう)



成都(せいと)




「陛下が……死ん、だ……?」
劉備
(りゅうび)


「い、いえ。亡くなられたかどうかまではわかりません。
依然として情報が錯綜していまして……」
孫乾
(そんけん)


「いずれにしろ、漢は滅びた。それだけは確かなようです……」
伊籍
(いせき)


「なんということじゃ……。わしは陛下のために何もできんかったのか……」
劉備
(りゅうび)


「曹丕め……。正直、アイツを甘く見てたわ。こんなに強引に事を進めるなんて……」
張飛
(ちょうひ)


「帝位を簒奪する前には、弟の曹植や曹彰らを失脚させたそうだ。
特に曹植は詩聖とうたわれるほど名声が高かったからな。
だが腹心の楊脩らも殺され、もう何もできまい」
劉巴
(りゅうは)


「曹操の弟分だった曹洪も投獄されたそうだぞ。
自分の対抗馬になりうる一族を次々と排除してやがる。
曹操以上に冷酷な男だぜ……」
彭羕
(ほうよう)


「何より憂慮すべきは、これで我々が漢王室の復興という大義名分を失ったことだ。
せっかくの漢中王という称号も有名無実なものになってしまった。これからどうすべきか……」
秦宓
(しんふく)


「馬鹿め。これは絶好の機会ではないか」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「ぜ、絶好の機会? なんの話だ?」
許靖
(きょせい)


「これだけ雁首そろえてなぜわからぬ?
漢が滅びた? だからどうした?
ならば貴様が漢そのものになればよかろう」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「…………へ? わ、わしが? 漢に? どういう意味じゃ?」
劉備
(りゅうび)


「貴様が献帝の次の皇帝となり、漢はいまだ健在だと言えばよかろう。
貴様は皇帝の末裔サマで、しかも漢中王サマなのだろう? 資格は十分ではないか」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「わ、わしが……皇帝に……?」
劉備
(りゅうび)


「どうした。皇帝になるのは貴様の夢であろう。もっと喜ばぬか」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「い、いや……急に言われたもんじゃから、なんか実感が湧かなくてのう」
劉備
(りゅうび)


「でも、それって良い考えよ。
天下広しといえども、献帝陛下の跡を継げるのは、今やアンタしかいないんだから!」
張飛
(ちょうひ)


「おめでとうッス! ついに劉備先輩の夢が叶うッス!」
趙雲
(ちょううん)


「わしが……皇帝に……」
劉備
(りゅうび)


「そうだ、ちょうどいい。貴様にあれをくれてやろう。
――黄月英」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「はいです。ででででん。伝国の玉璽~~」
黄月英
(こうげつえい)


玉璽
(ぎょくじ)


「ぎょ、ぎょ、ぎょ、ぎょ、ぎょ、玉璽ィィィ!?」
劉巴
(りゅうは)


「玉璽って、皇帝の証だというあの印綬か!?」
李厳
(りげん)


「ち、ちょっと諸葛亮! アンタこれどこで手に入れたのよ!?」
張飛
(ちょうひ)


「拾った」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「拾えるものなのか……」
費詩
(ひし)


「こ、こんな大事な物を無造作に持ち歩いておられたのか?」
龐羲
(ほうぎ)


「ただの良く光る判子だ。だが今の貴様らには有用であろう」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「ううむ……。皇帝か……。
ぎ、玉璽を見ているとなんだかその気になってきたぞ……」
劉備
(りゅうび)


「あのろくでなしの劉ちゃんが皇帝になるんか。
……世も末だな」
簡雍
(かんよう)



許昌の都 軍議場




「劉備君が皇帝を名乗った? だからどうしたんだい?
魏帝国にあだなす逆賊が何を自称しようが痛くもかゆくもないよ。
どうせ僕が滅ぼすまでの短い栄華の時さ。好きにさせておきたまえ」
曹丕
(そうひ)


「は、はい……」
董昭
(とうしょう)


「しかしこれは由々しき事態ですぞ! 一刻も早く劉備を討つべきでしょう!」
王朗
(おうろう)


「いや、焦ることはありますまい。
劉備はいま、関羽の仇討ちのため孫権の討伐を目論んでいる。
劉備と孫権が共倒れになるのを待つべきであろう」
賈詡
(かく)


「ずいぶんと消極的な考えじゃな。魏帝国が建国された今こそ、一息に中華統一をすべき――。
んん? 誰かと思えば程昱ではないか。何しに参った?」
鍾繇
(しょうよう)


「なんじゃなんじゃ。久々に参内してみたというに、見飽きた面々が顔をそろえておるわい。
人事を一新したのではなかったのか? 王朗が司空(しくう)じゃと? そんな人事で大丈夫か?」
程昱
(ていいく)


「こ、これは手厳しいですな程昱殿。ところで引退なさった御老体がなんの用ですかな?」
王朗
(おうろう)


「フン、曹丕の陛下に招かれて復帰したんじゃ。
ワシのことはいい、それより孫権が即位の祝儀とともに捕虜を返還してきおったぞ」
程昱
(ていいく)


「ただいま、戻りましたぜ」
于禁
(うきん)


「…………戻りました」
東里袞
(とうりこん)


「は、はは…………」
浩周
(こうしゅう)


「むざむざ関羽の捕虜になり、さらに孫権の手に渡っておきながら、無様に帰ってきたのか。
どのツラ下げて陛下に会いに来たのだ? んん?」
呉質
(ごしつ)


「まあまあ、そのくらいにしてあげたまえ。彼らも苦労したんだ。
ところで孫権君は僕の即位に関して何か言っていたかな?」
曹丕
(そうひ)


「た、大変おめでたいことであると喜んでいました!
も、もはや孫権が陛下に逆らうことはないでしょう! 中華統一も目前です!」
浩周
(こうしゅう)


「……いや、それは表面上だけのことだ。
いつの日か必ず、孫権は再び我らの敵となるだろう。決して油断なさるな」
東里袞
(とうりこん)


「と、東里袞。へ、陛下の前でなんということを言うんだお前は!」
浩周
(こうしゅう)


「ふうん。于禁君はどう思うんだい?」
曹丕
(そうひ)


「孫権の旦那は一代の傑物だ。俺っちが言えるのはそれだけさ」
于禁
(うきん)


「なるほど。
――そうだ、君たちは父上の葬儀にも出られなかっただろう。
せっかくだから墓参りをしてきたまえ。質素だけど良い墓ができたんだ」
曹丕
(そうひ)


「ああ……」
于禁
(うきん)



許昌の都 墓所




「………………」
于禁
(うきん)


「あわわわわわわわわ。
へ、陛下は、内心では激怒しておられるのだ……。
あわわわわわわわわ……」
浩周
(こうしゅう)


「けっ……。性格の悪い野郎だとは思ってたけどよ、ここまでとはな!
『関羽に降伏し醜態をさらす于禁と、降伏を拒絶し壮絶に討ち死にする龐徳』の壁画だとよ!」
東里袞
(とうりこん)


「…………まあ、よく描けてるじゃねえか」
于禁
(うきん)


「どどどどどどうしましょう!? ど、どうすれば陛下の怒りを解くことができますか!?」
浩周
(こうしゅう)


「知らねえよ。自分で考えろ」
東里袞
(とうりこん)


「……俺っちは鮑信の旦那に代わり、曹操の旦那の行く末を見守るため、生き恥をさらすことを選んだ。
でも曹操の旦那はくたばった。生き恥だけが残っちまった」
于禁
(うきん)


「だがこれで曹丕という男の底は見えましたよ。
魏に何十年も仕えてきた于禁将軍にこの仕打ちとはな!
こんな男には見切りをつけましょうや、将軍!」
東里袞
(とうりこん)


「よせよ。俺っちはもう将軍でもなんでもねえ。ただの一兵卒の于禁だ。
曹丕の旦那がどう思ってようが、俺っちには関係ねえ。
ま、一兵卒は一兵卒らしく、一からやり直すとするさ」
于禁
(うきん)


「…………曹丕のもとに残られるのですか?」
東里袞
(とうりこん)


「曹丕じゃねえ。俺っちはいつまでも曹操の旦那の、いや旦那の残した魏の臣さ」
于禁
(うきん)


「………………」
東里袞
(とうりこん)


「どうしようどうしようどうしようどうしよう…………」
浩周
(こうしゅう)



成都 式典場




「わしはここに漢王室の再興を宣言する!
曹魏の偽りの世を正し民を救い、献帝陛下の雪辱を果たすんじゃ!!」
劉備
(りゅうび)


「漢皇帝・劉備バンザーーイ!!」
張飛
(ちょうひ)


「漢帝国バンザーーイ!!」
趙雲
(ちょううん)


「せや! 魏を討つんや!!」
馬岱
(ばたい)


「やりましょう! 我々の力で! 必ず!」
李恢
(りかい)


「バンザーーイ!!」
黄権
(こうけん)


「オオオオォォォォオオオオン!!」
魏延
ギヱン



成都




「ふう……。さすがに疲れたのう」
劉備
(りゅうび)


「ご苦労。ただの無能だとばかり思っていたが少しは演説もマシになったではないか。
即位の祝いだ。たまには褒めてやろう」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「いやあ、亮さんの台本が良かったんじゃよ。
三日三晩、徹夜してそれを丸暗記しただけじゃ」
劉備
(りゅうび)


「でも暗記できるようになっただけでも大した進歩じゃないの!
伊達に皇帝サマじゃないわね!」
張飛
(ちょうひ)


「いやあ、そんなに褒められると照れるのう!
……でもそんなことより、わしは、いや朕にはやるべきことがあるんじゃ。
早速じゃがその相談をしたい」
劉備
(りゅうび)


「……関羽の仇討ちね」
張飛
(ちょうひ)


「おう。孫権を討つ。それが朕の皇帝としての初仕事じゃ!」
劉備
(りゅうび)


「待つッス先輩! ついさっき打倒・曹魏を掲げたばかりなのに、
孫権先輩を攻めるんじゃあ道理が合わないッスよ」
趙雲
(ちょううん)


「道理なんて関係ないのよ。アタイと劉備の一番の願いはそれなんだからね!
……この晴れの舞台に、関羽のヤツにもいて欲しかったわ。
あのバカ! なんでこんな時に死んじゃうのよ……」
張飛
(ちょうひ)


「……でも道理の問題だけじゃなく、遠征自体にも不安が残るわよ。
荊州の軍馬を失ったことも大きいし、上庸(じょうよう)も魏に寝返ったと聞いてるわ。
益州に残ってる戦力も、うちの馬超は毒矢で撃たれて寝込んでるし、
留守を任せる糜竺は弟が謀叛した責任を取って隠居したし、
法正や黄忠も漢中制圧戦で無理をして倒れてるし……」
董夫人
(とうふじん)


「それなら心配はいらん。ワシは大丈夫じゃき」
法正
(ほうせい)


「法さん!? 寝ておらんと駄目じゃろうが!」
劉備
(りゅうび)


「ゴーーホッゲホゴホッ!! わ、儂もまだまだ戦うんじゃからな!」
黄忠
(こうちゅう)


「黄忠まで……そういうのを年寄りの冷や水って言うのよ!
おとなしく寝てなさい!」
張飛
(ちょうひ)


「孫権を討つのだろう? それならワシの……グフッ!
ワシの、頭脳が、必要だろうが……」
法正
(ほうせい)


「駄目ッスよ。御二人にもしものことがあったら、それこそ一大事ッス」
趙雲
(ちょううん)


「そうそう。それにまだまだアタイらには戦力が揃ってるんだから心配しなさんな。
――たとえば、そこでふんぞり返ってる偉そうなウチワ馬鹿とかさ!」
張飛
(ちょうひ)


「余を指すに適当ではない呼称は見逃してやるとして、
いったいなんの話だ?」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「なんの話って――アンタが遠征軍の指揮を執りなさいって話に決まってるでしょ!」
張飛
(ちょうひ)


「はあ? 何を言っているのだ貴様は。
もはや余が手を貸してやることはない。
約定は果たしてやったではないか、劉備よ」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「へ?」
劉備
(りゅうび)


「貴様を望み通り皇帝にしてやった。
余は約定を果たしたのだ。これ以上、貴様ら凡愚どもに付き合ってやる義理はない」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「し、諸葛亮……アンタ……」
張飛
(ちょうひ)


「余は草廬へ帰る。余の貴重な頭脳を貴様らのために消費させてやるのは無駄だからな」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「……ああ、そう。
アンタのこと、ちょっとは認めてたんだけどね……。
いいわ。アンタの力は借りない。今までご苦労さん。草廬でもどこでも行っちまいなさいよ!!」
張飛
(ちょうひ)


「無論だ。貴様の赦しがいることか?
行くぞ、黄月英。馬謖」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「はいです」
黄月英
(こうげつえい)


「ええ、御主人様」
馬謖
(ばしょく)


「と――止めなくてよろしいのですか?」
李恢
(りかい)


「止めて止まるようなタマじゃないわよ! もう知らないわあんなヤツ!!
ほら劉備! しゃんとしなさいよ! 遠征軍の編成を考えるわよ!」
張飛
(ちょうひ)


「………………亮さん」
劉備
(りゅうび)



成都 郊外




「………………」
黄月英
(こうげつえい)


「何か言いたそうだな、黄月英。名残が惜しいとでも言いたいのか?」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「……私は御主人様に従うだけです」
黄月英
(こうげつえい)


「クックックッ……。人形のように無機質な貴様も、だいぶあの愚者どもに感化されたようだな」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「……それを言うなら御主人様の方こそです」
黄月英
(こうげつえい)


「なんだと?」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「昔は従者にいちいちそんなことを聞く人じゃなかったです」
黄月英
(こうげつえい)


「…………下らぬ」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「そ、そんなことよりあのー。
な、なぜかうちの兄貴がついてきちゃってるんですけど……」
馬謖
(ばしょく)


「………………」
馬良
(ばりょう)


「きっと馬良はついてくれば働かなくてもいいかもと考えてるです」
黄月英
(こうげつえい)


「馬鹿な。ついてきたからにはタダ飯は食わせぬぞ。働け馬良」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「………………」
馬良
(ばりょう)


「あ……帰ってった……」
馬謖
(ばしょく)


「入れ替わりに誰か来るです。殺すですか?」
黄月英
(こうげつえい)


「し、諸葛亮殿! はあっ、はあっ……。ゴホッ! ゲホッ! ゴホッ!!」
法正
(ほうせい)


「殺すまでもなさそうです」
黄月英
(こうげつえい)


「ま、待ってくれ諸葛亮殿。ワシの……ワシの頼みを聞いてくれぜよ」
法正
(ほうせい)


「断る」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「ワシは……もう戦えん。口では強がりを言ったが、ワシの身体はもう従軍には堪えられんぜよ」
法正
(ほうせい)


「断ると言った」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「どうかワシの代わりに軍師を務めてくれ! 殿を、陛下をこれまで通り助けてくれんか……」
法正
(ほうせい)


「…………貴様は龐統になりたかっただけではないのか?」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「え……?」
法正
(ほうせい)


「益州で不遇をかこち、才能を腐らせていた貴様は、龐統がうらやましかった。
仕えるべき主君を持ち、信頼を受け、才能を存分に発揮していた龐統が」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「………………」
法正
(ほうせい)


「その龐統が目の前で死に、後釜になれる機会が転がってきた。
貴様は龐統に成り代わった。そしていま己が死に瀕し、龐統の役目を余にやらせようとしている。
下らぬ。余は龐統ごときの代わりなど死んでも御免だ」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「…………ああ、そうぜよ。ワシは龐統がうらやましかった。
龐統になりたかった。否定はせん。
だが、それだけじゃないぜよ。龐統と同じようにワシは、殿が好きになったんじゃ。
殿のために戦いたい。殿の力になりたいんじゃ」
法正
(ほうせい)


「ほう。龐統ではなく法正の代わりをしろと言うのか。ますます御免被る」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「理由はなんでもいい! どうか、どうかもう一度、殿のために……ゴホッ! ゲハアッ!!」
法正
(ほうせい)


「気絶したです。とどめ刺すですか?」
黄月英
(こうげつえい)


「捨て置け。
行くぞ、黄月英。馬謖」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「………………やっぱり変わったです。
法正にたくさんしゃべったです」
黄月英
(こうげつえい)


「だからどうした? 傷をえぐってやっただけだ」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「お前さっきから御主人様に対して生意気だぞ」
馬謖
(ばしょく)


「馬謖は黙るです」
黄月英
(こうげつえい)


「うるさい。死ね。不満があるなら消えろ」
諸葛亮
(しょかつりょう)


「消えないです。従者はついていくだけです」
黄月英
(こうげつえい)


「好きにしろ」
諸葛亮
(しょかつりょう)







かくして伏龍は劉備のもとを去った。
残された劉備、張飛は義兄弟の仇討ちを新たに願う。
だが立ち上がったばかりの蜀漢の行く手には暗雲が待ち構えていた。




〇八〇   次代の風