家別キャラ(近畿~四国)

三好家

三好長慶 三好義賢 十河一存 安宅冬康 三好政康 三好長逸
岩成友通 松永久秀 荒木村重 十河存保 足利義維

三好義継 ◯
三好家の当主だが実権を三好三人衆に奪われていた。信長に協力しいったんは返り咲くが、足利義昭にそそのかされて信長と戦い敗死した。

土岐頼次 ×
松永家。斎藤道三に仕えていたが敗死したため松永久秀を頼った。なにその下克上つながり。
その後、秀吉→家康とうまく渡り歩き旗本になった。
武将風雲録では知力・武力ともに30ちょいの最低クラスのパラメーターを誇る。


足利義栄 ▲
室町幕府14代将軍。足利義輝を暗殺した松永久秀&三好三人衆によって将軍に擁立される。
だが信長の助力を得た足利義昭によって松永らは撃退され、義栄も若くして背中の腫れ物が悪化し死んだ。
・権力闘争に敗れ阿波に逃げた父のもとで生まれたため、将軍でありながら京に一歩も入れなかった。
・そもそも腫れ物が悪すぎて京まで外出できなかったっぽい。
・本人がやったこととして「寺に寄付をした」くらいの逸話しか残ってない。
・献金不足で将軍就任を一度断られた。(三好三人衆がなかば朝廷を脅迫して就任させたらしい)
・没日はもちろんのこと享年すらよくわかっていない。
・wikiにすら画像がない。(肖像画が一切無い?)
などなど不憫なエピソードに事欠かない。


三好康長 △
三好長慶の叔父。三好義賢の副将格。義賢の死後は三好三人衆とともに信長と戦う。
三好勢が次々と敗退する中、最後まで抵抗したが、降伏すると信長、秀吉に重用され、四国方面の調略を担当した。
後に豊臣秀次を養子に迎えたため、秀次は豊臣姓になる前、三好秀次と名乗っていた。

三好長治 ×
三好義賢の子。信長に敗北し本国の阿波へ撤退。そこで悪政を敷き、反対勢力を攻め滅ぼしたため猛反発を受け、阿波守護の異父兄・細川真之とも敵対。長宗我部・細川軍に敗れ戦死した。

細川真之 ×
三好家。阿波守護の父は三好義賢に殺され、母の小少将も奪われ、自身は傀儡として利用された。(三好長治は小少将と義賢の子)
三好長治を討ち取ると、長治の弟・十河存保と対立。敗北し討たれた。

小少将 ×
戦国屈指の美女で細川持隆→三好義賢→篠原自遁→長宗我部元親の妻となった。
強いられた結婚ではなく自ら望んで(三好義賢とは夫の生前から不倫していた)次々と嫁ぎ、夫や息子のことごとくが不遇な最期を遂げている。
妲己かなにかの生まれ変わりのような妖女である。

篠原長房 △
三好義賢の重臣。死後は三好三人衆とともに戦い、フロイスによるとむしろ長房が中心人物で三人衆を率いていたという。
一度は信長から畿内を奪回するものの、信長は朝廷を動かし包囲網を解散させたため、長房も阿波へ撤退。
弟の篠原自遁や三好長治が小少将の讒言で長房を疎んじるようになると、長房は嫌気が差したのか引きこもるようになり、それを謀叛の兆しと受け取った三好長治によって討たれた。
知勇兼備の名将で体格も良く、時に他人に妬まれるほどだったが、初期の信長の野望では政治30武力50の低評価。
しかし近作では武力こそ30に下がったが知略・政治が70オーバーと再評価されている。

七条兼仲 ×
三好家。神から怪力を授かるために鏡餅を奉納した逸話で知られ、現在も170キロの餅を担いで歩行距離を競う伝統行事として残っている。
十河存保のもとで長宗我部家と戦い敗死。信長の野望では知力10武力90の脳筋。

池田勝正 ▲
摂津の大名。当主の子ではなかったが武勇に優れたため跡を継いだという。
三好家とともに信長に抵抗したが、降伏後は信長に気に入られ逆に加増され、和田惟政・伊丹家とともに摂津を治めた。
三好三人衆が足利義昭を襲撃した時には単騎で切り込み、金ヶ崎の戦いでも秀吉・光秀とともに殿軍を務めた。
だが一族や重臣の荒木村重が三好家と内通すると、中心人物を斬り殺して出奔。池田家から離れ信長のもとで戦うが、荒木村重が信長方につくと、それに反発してか隠居した。(放浪の旅に出たともいう)

池田知正 △
池田勝正の前の当主の子。荒木村重と共謀し勝正を追放し池田家当主の座を奪回した。
だが信長包囲網に加わって没落し、池田家も村重に乗っ取られ、やむなく信長に降伏するとよりによって村重の配下につけられた。
村重が信長に反乱するとそれに加わるが、高山右近らの寝返りで窮地に立たされる。村重は「城を明け渡して降伏しよう」と言って知正を油断させ、密かに城を脱出してしまう。
残された知正は信長に降伏するも、村重の説得に失敗して恐れをなし、妻子を見捨てて淡路に逃亡した。(妻子や城の女房衆122人が処刑された)
その後、秀吉→家康に仕えて家名を残した。