家別キャラ(忍者・浪人)

浪人

上泉信綱 前田慶次 石川五右衛門 後藤又兵衛 愛洲移香斎 吉田重賢
吉田重政 杉谷善住坊 塚原卜伝 ザビエル

今井宗久 ▲
堺の商人。千利休、津田宗及と並び天下三宗匠と呼ばれる茶人。
信長が台頭するといち早くそれに従い、堺の商人を束ねたため絶大な信頼を受けた。
名前も事績も似ているし没年も近い津田宗及と混同されがち。

狩野永徳 ×
日本史上、最も有名な画家の一人。信長、秀吉にも腕を買われ安土城や大坂城の障子画などを手がけた。最後は過労死したという。

津田宗及 ×
今井宗久とほぼ以下同文。

塙団右衛門 △
多くの大名に仕えたが長続きせず、最後は大坂夏の陣で戦死した。酔えば酔うほど強くなり、酒瓶を片手に槍をふるったという。

本因坊算砂 △
棋士。信長、秀吉、家康に厚遇され信長からは「名人」と呼ばれ、これが名人の語源とされる。
本能寺の変の前夜、対局中にめったにできない三劫が発生し、不吉の前兆とされた。

曲直瀬道三 △
医聖と呼ばれる名医。松永久秀、足利義輝、毛利元就、信長らも診察した。数百人の門弟を育て上げたという。

伊東一刀斎 ▲
伝説的な剣豪。諸国を遍歴し無敗を誇った。剣豪の中でも最強説があるが事績は判然としない。
やはり剣豪として知られる神子上典膳や、大谷吉継の師であるとか、中国の剣豪と扇で戦い勝利したとか伝わる。


東郷重位 △
島津家の剣豪。示現流の開祖。兵法指南にとどまらず島津家の中枢に関与したという。
示現流は「二の太刀いらず」と言われる先手必勝の剣術で現在も警視庁で用いられる他、「チェスト」の掛け声でも有名。

丿貫(へちかん) ×
伝説的な茶人。数々の奇行で知られるが、秀吉には高く評価された。
友人の千利休が権力におもねるのを批判し、茶の湯に招いた時に落とし穴に落とした逸話で有名。


木食応其 △
真言宗の僧。秀吉が根来寺(真言宗の総本山)を攻めた際に和睦交渉をし、逆に秀吉から援助を引き出した。
その後は豊臣家の外交役として活躍する他、全国を行脚し100近い寺社の造営に携わった。
関ヶ原では豊臣家との縁から西軍の城へ降伏勧告を行ったが、西軍との内通を疑われてしまい、難を逃れ隠居した。

富田勢源 ×
富田流をひらいた剣豪。鐘巻自斎の師。一説に佐々木小次郎の師とも。
朝倉家に仕え、名うての剣豪を相手に薪で真剣に勝ったという。
眼病を患い引退し、弟に家督を譲り出家した。
様々な流派の開祖とされ(著名だったため名前を勝手に利用されたと思われる)、漫画「喧嘩商売」の主人公が富田流であることからも有名に。

富田重政 ×
富田流の剣豪。越後守の官位にちなみ「名人越後」と呼ばれた。
前田利家の家臣として活躍し、冨田勢源の姪をめとった。
冨田勢源が引退し、跡を継いだ弟(重政の義父)に家督を譲られる。
前田家で1万石を与えられ、小田原征伐や関ヶ原でも活躍。大坂夏の陣では隠居の身(といってもまだ51歳)で参戦し19の首級を挙げた。

鐘捲自斎 △
鐘捲流をひらいた剣豪。弟子に伊東一刀斎、佐々木小次郎。
富田勢源(またはその弟)に師事し「富田の三剣」とうたわれた。
漫画「バガボンド」で一躍有名に。

御子神典膳 ×
里見家に仕えたが、出奔して伊東一刀斎の弟子に。後継者争いに勝利し一刀流を継いだ。
後に徳川秀忠に仕え小野忠明に改名。数々の戦で手柄を立てるが、傲慢な性格がたたり追放された。

柳生石舟斎 ▲
剣術自慢だったが上泉信綱どころかその弟子にすら勝てず、未熟を悟り信綱に弟子入りし、新陰流の二代目となる。(石舟斎の流派は俗に柳生新陰流と呼ばれる)
華々しい名声とは裏腹に、矢で射られたり馬から落ちたりして重傷を負い、後継者の息子も鉄砲傷で剣を握れなくなると隠棲した。
その後、隠田を摘発されて所領を奪われ近衛前久に拾われる。後に家康に請われて奥義を披露し、ぜひ剣術指南役にと誘われるも、老齢を理由に辞退し、代わりに柳生宗矩を推挙した。

柳生利厳 ×
柳生石舟斎の孫。祖父直伝の新陰流の他、槍術と薙刀術も達人の腕前。祖父には将来を見込まれ、叔父の柳生宗矩が柳生家の再興を賭けて関ヶ原に赴いた時も、石舟斎は利厳を参戦させず、手元に置いて修行させていた。
しかし加藤清正に誘われると断りきれず、石舟斎は「利厳は短気で頑固なので、三回失敗するまでは殺さない」という約束を取り付けて出仕させた。
だが仕官は一年持たず、短気な利厳は一揆への攻撃に反対する同僚を殺すと、その足で一揆の首謀者20数名を斬り捨てて鎮圧し、清正に辞去を申し出た。
その後は武者修行の旅に出ていたが、家康に請われて徳川義直の師範に。義直には持てる全てを伝え、祖父から譲られた皆伝の免状や太刀も譲ったという。


阿国 ☆
歌舞伎の原型となるかぶき踊りを創設した。
伝説的な人物で詳しい業績はほとんどわかっていない。
彼女について「へうげもの」で大胆かつ画期的な解釈がされている。


宝蔵院胤栄 △
興福寺・宝蔵院の院主。十文字槍とそれを用いた宝蔵院流槍術を考案した。弟子として可児才蔵が有名。
上泉信綱のもとで新陰流を学ぶなど多くの流派を修めたが、晩年は僧侶が殺生を教えることに矛盾を感じ、弟子に全ての武具を譲り僧侶に専念した。

宝蔵院胤舜 ×
興福寺・宝蔵院の院主。宝蔵院流槍術の二代目。
多くの創作で宮本武蔵と戦っている。

外国

李舜臣
朝鮮水軍の総大将。文禄・慶長の役で日本軍と戦った。晩成型の苦労人で、朝鮮の役の際にも剛直な性格から一兵卒に落とされたり、死刑を言い渡されたりもした。
だが例により近年になって韓国に抗日の英雄として祭り上げられただけで、事績を見るとたいした戦果は挙げていない。
もっとも当時、世界最強クラスだった日本軍を相手に勝てという方が無茶なのだが。


ルイス・フロイス ◎
ポルトガルの宣教師。仏教勢力との戦いに辟易していた信長に気に入られ布教を許された。
日本での布教の歴史を著した「日本史」は上官に「冗長だから削れ」と言われるほど、当時の日本の人物・生活・地理風土等を細微にわたって描き、一級史料とされる。
人名は当然ローマ字表記のため、フロイスのおかげで名前の読みがわかった戦国武将は数知れない。また厚遇してくれた信長の人物描写も多く、現在の信長像の大半はフロイスの記述を基にしているといって過言ではない。

呂宋助左衛門 △
ルソンと貿易し豪商となった。だが贅沢を尽くし、また秀吉にルソンで使われていた便器を家宝の壺として売りつけたことに激怒された
。だがすでに国外に脱出していた助左衛門は事なきを得ると、さらにカンボジアに渡ってますます名を上げたという。


山田長政 ×
大久保忠佐の家臣だったが、貿易船に乗りタイへ渡ると、傭兵として活躍した。
スペイン艦隊を二度に渡り撃退した功績で王女をめとり、タイ王家の重臣となるが、後継者争いの末に暗殺された。
一説に白人に先駆けオーストラリアを発見したとも言われる。