やまいたちの夜
〜発端編〜

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鮮やかなシュプールを描き、真理は僕の前で止まった。
ゴーグルを押し上げ、微笑みかけてくる。
「透はもう滑らないの?」
「スキーじゃ真理に勝てないよ」
雪国育ちの真理に、実力の差を嫌というほど見せつけられていた。
南国育ちの僕は、海なら分があるが、雪山ではなにをやっても真理にかなわない。

「そんなこと言わないで、滑りましょうよ。スキー場でスキーをしないなんて大損よ」
「スキー場ではスキーをしなければならない、なんて法律はないよ。
僕はいいから、もう一滑りしてくれば? 雪だるまでも作って待ってるよ」
「あらそう? 悪いわね」真理は遠慮せず、嬉々としてリフトへ戻っていく。
道産子の血が騒いでいるのだ。

見上げると、昼はあんなに晴れ渡っていた空が、雲に覆われ灰色に染まっていた。
心なしか風の音も強くなってきた気がする。
天気予報のお姉さんは「雪は夜更けから吹雪に変わるでしょう」と言っていたけど、早めに帰ったほうがいいかもしれない。





雪だるまを12個作りおえると、真理が帰ってきた。
「すごーい。これ全部、透が作ったの?」
疲れた様子も見せず、はしゃいだ声をあげる。
「まあね。いままで黙っていたけど、僕は雪だるま職人なんだ」
「ふうん」腰の高さほどもある雪だるまを、真理は蹴っとばした。
「すごいわ透。これ、蹴っても壊れない!」
なぜ蹴る。
「それよりもうこんな時間だよ」僕は右手にはめた腕時計を、真理の目の高さに上げてみせた。
「吹雪にならないうちに帰ろう」
「そうね。十分滑ったから、もう満足だし。
待ってもらったお礼に、帰りはあたしが運転するね」
「――真理が運転を?」

事故。
遭難。
墜落。
一揆。

不吉な二文字が頭をよぎる。
一揆は関係ないが。

「なによその顔。さあ、早く行きましょう」
僕の不安など知るよしもなく、真理は威勢よく言った。





時すでに遅く、車に乗り込んだ頃には、雪は本降りになっていた。
もはや吹雪と言っていい雪粒が、フロントガラスを容赦なく叩く。
まだ太陽が沈んでいないからいいものの、夜になれば吹雪で、前もろくに見えないだろう。
「すごい降りかただね。雪国に来たって感じがするよ」

旅行に来てから二日目。
昨日はおだやかな天候で、雪はちらつく程度だった。
こんなに激しく降られては、不慣れな僕には運転なんてとてもできない。
真理に代わってもらって正解だった。
運転席の真理は鼻歌まじりに片手でハンドルを握っている。さすがに余裕だ。
これはなんのメロディーだろう? 曲調からしてクラシックか。鼻歌でクラシックが出るなんて、育ちの良さを感じさせる。
事実、真理の家は金持ちで、今回の旅行は真理の主導で計画されていた。
真理の伯父さんがペンションを経営していて、「どうせお客がいなくて退屈してるんだ。タダ同然でいいから遊びにおいで」と誘ってくれたのだという。
行ってみると、実際にその通りだった。
僕たちの他にお客はたったの二人きり。閑古鳥が鳴き疲れて眠っているほどだった。
だが不思議なことに、今晩から急のお客が何人も入っていた。
プロット上の要請というやつだ。
「なにを考えてるの?」真理が助手席の僕を振り向いた。
「にやにやしちゃって気持ち悪い」
「僕たちの未来についてさ」
「あっそう」真理はすげない。

僕と真理は同じ大学に通う二年生で同い年。
知り合ったきっかけはデパートの屋上で行われるヒーローショウのバイトだった。
僕は戦闘員B、真理は戦闘員Cの役だった。
辛いバイトだった。
炎天下に分厚い全身タイツを着て、跳んだりはねたり。
戦闘員Aの先輩にしごかれ、正義な役の先輩には殴られ蹴られ斬られて。
あげくの果てにはチビッコ諸君からの「ゲロジョッカー(秘密組織の名前)なんか死んじゃえーっ」の大合唱だ。
本当に辛いバイトだった。
僕と真理はたがいに励まし合い、なかよくなっていった。
いつかは下克上して正義な役を奪い、先輩を蹴り返してやろうと誓い、耐えつづけたのだ。
だが恨み多き先輩はバイトを辞めてしまい、張り合いをなくした僕らも、相次いで辞めてしまった。
「君たちほどのザコキャラはいない」と引き止めた雇い主の顔がなつかしい。
あまりいい思いでのないバイトだが、おかげで真理と知り合うことができたのだ。あの先輩には、感謝すべきかもしれない。
一度だけ着たアライグマ怪人の着ぐるみのことを考えていると――突然。

真理が急ブレーキを踏んだ。
シートベルトが胸に食い込み、僕は激しくせきこむ。
「ど、どうしたんだよ」
「たいへん。木が倒れてる」
「え」
真理が指さす前方を見ると、倒れた大木が道をすっかりふさいでいた。
横たわる巨体に次々と雪が降りそそぎ、白く塗りつぶしていく。
「雪の積もり具合から見て、最近倒れたばかりみたいね」
「ちょっと見てくる」
風に押し返されながらもどうにかドアを開け、外に出た。
誰かが下敷きになっていたら一大事だ。
倒れた木は非常に太く、僕の胸の高さくらいまであった。
乗り越えようとしたが、足元が滑るのであきらめ、辺りをざっと見回るだけにして、すぐに車に引き返した。
「どうだった?」タオルを差し出す真理に首を振る。
「車はつぶされてないみたい。人が下敷きになってたら解らないけど、まさかこんな雪道を歩いてるわけないし」
話し終えると同時に僕はたてつづけにくしゃみをした。
寒い。寒すぎる。

「困ったわね。他にもペンションへ行く道はあるけど、遠回りになっちゃう」
「この道を使えないと、けっこう遠いの?」
「20分で行けるところを40分かかるくらいよ。ガソリン保つかしら」
行きには半分近くあったガソリンがもう切れかかっている。
雪道は車に余計な負担がかかるのだろう。
「あとから来るお客さんは、道に迷わないかな」
「さっき、左へ曲がっていく道があったでしょ。そこを曲がればいいだけだから、迷わないとは思うけど…」
それより透、と車をUターンさせながら、真理は固い表情で言った。
「あの倒木の根元、見た?」
「根元? いや、知らない」
「刃物で切ったみたいだったのよ」
「刃物で。そんなバカな」僕は頭のうしろで手を組んだ。
「じゃあ誰かがわざと木を切り倒したって言うの? いったい誰が。なんのために」
「たとえば――妖怪とか」
「妖怪っ?」僕は吹きだした。
「なにを言いだすんだよ。かまいたちだって、あんな太い木を切り倒せるわけ――」
「だから、やまいたちよ」
「は?」
「妖怪やまいたち。このあたりに伝わる伝説の妖怪よ」

僕は真理の顔をまじまじと見た。
真理も僕の顔をまじまじと見る。
真理は見たことのないほど真剣な表情をしている。
「……っていうか前を見て運転して!」僕は叫んだ。
「このあたりに住んでる人で、妖怪やまいたちを知らない人はいないわ」真理は素直に前を見ながら、淡々と語りだす。
「透は"かまいたち"って妖怪について、どのくらい知ってるの?」
「たいしたことは知らないよ。親子3匹で一組の妖怪で、一匹目が棒で足を払い、二匹目が鎌で切る、そして三匹目が薬を塗って大ケガにさせない。そのくらいのものさ」
「…ずいぶん詳しいのね」真理を感心(?)させることができてよかった。
「でもね透。やまいたちは、そんな生やさしい妖怪じゃないのよ」
「へええ」
「やまいたちも、かまいたちと同じ三匹一組の妖怪なの。一匹目は足を払い、二匹目は鎌で切り、そして三匹目は――」真理は言葉を切り、ためにためてから言った。
「傷口にワサビを塗り込むのよ!!」
「!?」
な、なんて残酷な妖怪なんだ。なんて恐ろしい。こんな凶悪な妖怪、聞いたこともない。初期のラーメンマンくらい残虐だ。
鬼太郎や水木しげるだって友達になれないだろう。
たしかにそんな冷酷非情な妖怪なら、木を切り倒して道をふさぐことくらい、平気でするだろう。
「このあたりには恐ろしい妖怪がいるんだね…」
「透も襲われないように、せいぜい気をつけるのよ」
どこまで本気なのか、いたって真面目な顔で真理は言った。


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